夫婦同姓制度どころか、戸籍自体が本当に必要なものなのだろうか?

ところで、日本人は“戸籍”というものを非常にありがたがっていて、「戸籍がない」などと言うとまるで幽霊のように思いがちだが、世界的に見ると戸籍自体が不思議な制度だ。

Wikipediaを引用すると、戸籍とは「戸(こ/へ)と呼ばれる家族集団単位で国民を登録する目的で作成される公文書」。

国民を個人にひもづく家族単位で登録するこの制度は、かつて東アジアの広い地域で普及していたが、現在では日本と中華人民共和国と台湾のみに現存する制度である。

古代から中国で使われていたこの制度を、日本は6世紀から当時の大和朝廷が部分的に取り入れ、7世紀の大化の改新以降は新羅などを参考にして、本格的に制度化されたらしい。

これに基づいて日本は戸籍で括られる(同じ氏である)家族単位がずっと重視されてきたわけで、現在も夫婦別姓に難色を示す人たちの論拠ともなっている。

古から受け継がれてきた戸籍と家族制度、それに伴う夫婦(家族)同姓を蔑ろにするのかと。

戸籍謄本のイメージ イラスト/イラストAC
戸籍謄本のイメージ イラスト/イラストAC

しかし先述のように、古くから戸籍はあったものの、平民に苗字はなかったのだから、戸籍と苗字を同一線上で考えるのは乱暴だ。

それにその戸籍も、個人と家族関係を連結して把握できる優れた制度である一方、大昔の権力者が税の取りっぱぐれを防ぐために導入したという歴史からも分かるように、庶民にとっては「抑圧」という見方もできる。

民衆にかけられたその「家」という重しを、近代化する中でアジアの多くの国は排除していったのだが、そもそもの発明者である中国(および台湾)と、変化を好まない国民性の日本だけに残っているのだ。

その中国にしても、1949年に中華人民共和国として新生した翌年の1950年、旧国家が国民に課していた抑圧の象徴である夫婦同姓を排除し、選択的夫婦別姓を認めている。

戸籍がー、家族がーといつまでも言い続けている人は、日本がこうした世界の潮流からどんどん遅れていくことに気づかなければならない。