知的障害や発達障害の子は苦労している
ところが、知的障害や発達障害の子は、本人や親が特別な場での支援を希望しても、就学相談で「通常学級が適当」と判断されることもあります。また、境界知能の場合は知的障害に該当しないので、他に発達障害などの障害がなければ通常学級に入ることになります。その結果として授業についていけなかったり、集団行動でテンポがずれてしまったりして、苦労している子どもたちがいるわけです。
そこで大人たちが通常学級の授業を調整するか、または学校・学級選びの幅を広げることができればいいのですが、そのどちらも行われていない場合が多いです。本来は環境をもう少し整えて、例えば境界知能であれば通常学級でも十分に学べるくらいにしたいところですが、実際には「授業のやり方は一切変えません」「みんながんばってね」というスタンスで教室が運営されていることもあります。
文部科学省は子どもの学業不振に寛容で冷淡
私は学校の授業やテストの仕組みをみていて、文部科学省は子どもの学業不振に対して寛容で冷淡だと感じることがあります。
学校ではさまざまなテストが行われています。テストの目的は、子どもの理解度や習熟度などを確認することでしょう。日常的なテストの点数で成績が決まり、入学試験の点数で合否が判断されます。テストの点数がいい子もいれば、悪い子もいます。子どもの学力にはばらつきが出るわけですが、それは当然だと見做されています。学業不振の子がいても許容される。そういう意味では文部科学省は「寛容」なのです。
テストの点数が悪い子のなかには、たまたま調子が悪かっただけという子もいれば、授業の内容が理解できていないという子もいるでしょう。その子たちには補習が行われたりするわけですが、授業はその後も進んでいき、学校は年度末になると「全員この課程は理解できた」という前提で子どもたちを進級させます。特に義務教育段階ではそうです。
しかし、十分に学習できていない子は、その後の生活で困ることもあるでしょう。当然、不全感を持つ子も出てきます。子どもが失敗を重ね、自信を失い、メンタルヘルスを損ねる恐れがあります。その点については、文部科学省は無関心で「冷淡」なわけです。
「勉強が苦手な子もいる」「それは仕方がない」と寛容に受け入れながら、でも「これ以上は教えませんよ」と冷淡に対応する。わかるように教えてはくれない。残念ながら義務教育段階では、学業不振にそのような対応がなされることがあるのです。
知的障害や境界知能の子はついていけなくなる
なぜ学力のばらつきが許容されているのかというと、それによって進路の振り分けができるからという側面があります。学校の授業やテストの仕組みは、そのように組み立てられています。私たちはその実状を理解したうえで、子どもの進路を考えなければいけません。
いまの社会には、授業を理解できない子がいても仕方がないと見做すような実態があります。だから軽度の知的障害や境界知能、学習障害が見過ごされることがあるわけです。本来であれば、勉強が苦手で困っていれば小学校低学年くらいでみつかるはずの特性が、小学校を卒業しても気づかれないことがあります。
軽度知的障害の子は入学直後から、境界知能の子は小3くらいから、通常学級の授業を難しいと感じます。通常学級で学んでいる場合、低学年の頃は本人や親、先生の工夫でテストの点はとれる場合もありますが、学年が上がるにつれて成績も下がってくることが多いです。
知的障害があることがわかれば支援級に切り替えることもできますが、境界知能では法制度上、それも希望できません。その結果として学校生活に不全感を持ち、不登校になってしまう子も出ているのです。
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