民族を越えていく館林の若い世代
それでも館林を見ていると、希望も感じるのだ。
「ALHミニマート」がオープニングしたこの日、忙しく立ち働いている若者たちの姿があった。来客を案内し、料理を運び、食材の販売や説明をし、また、車でやってくる人々のために誘導や駐車場までの案内をしている。そのリーダーは、アウンティンさんの息子マモルさん(18)だ。
日本で生まれ育った彼は、中学2年生のときにここ館林でサッカーチーム「サラマットFC」をつくった。サラマットとはアラビア語で「平和」を意味する言葉だ。
「サッカーを通じて、ロヒンギャのことを知ってほしくて」
と始めたが、いつの間にかいろいろな顔ぶれが集まるようになった。ロヒンギャ、日本人、パキスタン人、ブラジル人、ガーナ人……その仲間たちが、今日は手助けに来てくれたのだ。
炎天下、駐車場までの案内をしていたのは日本人の縄野隼斗(なわのはやと)さん(18)だ。
「マモルとは小学校が一緒でした。いつも家族同然に扱ってもらってるんで、まあ助け合いっす」
なんて話す。
「小学校のときからまわりに外国人がいたし、いま自分は電気工事士なんですけど職場にはブラジル人もいるし、中国人の友達もいるし、それが普通っていうか」
館林はそういう土地なのだ。だからロヒンギャの人々にとっても暮らしやすかったのだろう。
「日本人だけじゃなくて、幅広く友だちが欲しいんす。文化は違っても、結局一緒なんで」
ちょっと得意げにそう言う縄野さんと、スマホで連携しながら駐車場で車の誘導に当たっているのは木村裕紀さん(18)だ。フィリピン人と日本人のハーフで、サッカーチームのメンバーではないがマモルさんの友人だ。
「こういうの初めてなんで、よくわからないんですが」
と笑いながらも、次々にやってくる車をさばいていく。なんとも手際がいいのだ。
「日本という力」があるから
彼ら「裏方」たちは、来客があらかた去った午後遅く、ようやくの昼食となった。ロヒンギャ風の牛肉煮込みや、ミャンマー風の豆カレーでご飯をかきこんでいく。男友達同士わいわい騒ぎながら、なんとも楽しそうだ。
マモルさんが言う。
「お父さんたちの世代と違って、僕たちの世代には〝日本という力〟があるから」
迫害から逃れてきたこの異国で、言葉もわからずアウンティンさんたちの世代はずいぶんと苦労をした。しかし日本で生まれたマモルさんは日本語の壁もないし、小さいころからの地元の友達が力になってくれる。それも、個性的で多様な仲間だ。
「だから、ロヒンギャのためにできることも、もっと多くなると思うんです」
大学では国際ビジネスを学び、父の手がける貿易や中古車の仕事をもっと大きくしたいとも思っているという。なんとも頼もしい日本生まれのロヒンギャ2世が、これからの館林を引っ張っていくのだ。