人間の本質は全部アングラの中にある

大鶴 金さんと演劇やらせてもらう前に、一度劇団の話を途中まで書いたことがあったんです。でも親の話になってしまって、でもまだ親も現役で、自分で気持ち悪くなって書くのやめたんです。だから、劇団の話を書いたの、実を言うと二回目なんですよ。

 よくここまで客観的に書けたと思った。だいたいの演出家はグッとくると思います。たわいのない葛藤が常にあって(笑)、でも、そこから歯車が回ってさらに大きな歯車を動かす。いろんな人と一緒に舞台を創り上げる。役者だけ集まれば演劇は始まると言うけど、本当はそうはいかない。貧乏であることは確かです、たいてい経済という波で現実に押し戻されちゃう。でも、李さんも唐さんもそうはならなかった。僕はお二人からそういうことも学びました。
 最初僕は〈ニナガワ・スタジオ〉に所属していたんだけど、あるとき蜷川さんの言ってることが分からなくて、「状況劇場で修業してきます」って出た。でも、状況劇場にいても余計分からなくなって、結局、新宿梁山泊を旗揚げして三十年以上になります。
 蜷川さんも最後はシアターコクーンという牙城を持って、唐十郎という難題にずっと挑戦してました。アングラにコンプレックスがあったのかもしれませんね。そして、蜷川さんが倒れた後、僕が二〇一六年にコクーンで『ビニールの城』の演出をすることになった。
 こんなに長い間アングラに関わっていると、僕も悟ったわけじゃないんですけど、人間の本質は全部アングラにあるなと思うようになった。女優の中に人間というものの全てが入っている。それを切り取るみたいに僕らは演技し演出し、日常を耐え、舞台に生きる。

大鶴 だから、ふだんの生活が楽しい人や、まっとうな愛に恵まれている人は、女優として大成しないことも多いですね。三度の飯よりも演劇に関わっていたいと思う人じゃないと。

 だって、唐さんなんて朝書いて、昼はワイドショー見ながらネタを仕込んで、夜、宴会で、みんなに歌ったり踊ったりさせて、自分が思い出した一節なんか読ませながら、それで次の朝、また書くわけですね。芝居のための日常を送っていた。その日常が僕らにとっては非日常だったものですから、それは大変で。でも、だんだん麻痺してくるんですよ。僕は新宿梁山泊を作ったけれど、状況劇場を引き継いでいるという自負がどこかにあるので、今でも唐さんたちと一緒にいるつもりです。お金もないのになぜか演劇の神様が続けさせてくれている。こんな場所も観客も与えてくれている。

大鶴 見にくる観客は昔とは変わりましたよね。

 変わりました。昔は何か下手なことをしたら罵声を浴びせてくるような、迫力のある感じだったけど、みな、おとなしくなった。昔は客のほうが俳優より強かったかもしれない。

大鶴 ロックコンサートみたいでした。今は逆に、文化的なことをお勉強しましょう、というような雰囲気を感じることもある。

 かつては客も自分探しの旅をしていたから、主役に自分を投影した。六〇~七〇年代は時代がそうだったからかもしれないけれど、みんな何かと闘っていた。でも八〇年代の演劇ブームで、分かりやすく楽しく見せる演劇が主流になった。そして九〇年代辺りからは、平田オリザみたいに日常の中にドラマがあるという、静かな演劇も上演されるようになった。

大鶴 アングラとは正反対ですもんね。

 僕らはこの単段式ロケットで膨大なエネルギーを使って日常という大気圏から出て、宇宙に行って遊ぼうとする。そしてまた戻ってこなきゃいけない。日常がそれだけ重いということでもある。でもエネルギーがないとそこから出ていけません。義丹はアングラや唐十郎の世界を「ファンタジックホラー」と表現したけど、ファンタジーでホラーな現場に行くには膨大なエネルギーが要るということでもありますね。
 今でも僕はテント(の空間を使う演劇)を放棄できない。雨の中でも台風でもテントを張る。何でこんなことやっているのかという自問自答は常にありますね。でも、それを超えたところに、表現の場を自分らで作る、自ら滑走路を作ってそこから飛び立つという意識があります。この意識は誰にも邪魔できない。
 今回の小説にも花園神社が出てきますよね。昔からあそこには芸能の神様が祭られていて、唐さんがそこでテントを張っていた。僕の「新宿梁山泊」という劇団名の、「新宿」は新宿花園神社の「新宿」なんです。「梁山泊」は『水滸伝』からで、「花園に集まりましょう」という意味です。僕にとっては花園神社は聖域です。今度の小説にはそのことも出てきて、うれしくて、うれしくて。

大鶴 演劇の神様という存在を感じることはあります。演劇以外のものに浮気すると、やっぱり許してくれない。

 浮気というか、横道にそれたら許さない。その怖さはありますね。僕は演劇を全うしているから続けられているんだと思います。コロナでこの二年間、演劇界隈は大変だったけど、僕らは一度も中止しなくてすんだ。飲み会もできるときはずーっとやってた。なぜ飲み会をやるかというと、そこでの情報が必要だからです。上演しっぱなしじゃなくて、そのことを話し合う場、コミュニティーが絶対必要なんですよ。

大鶴 そういうプライベートな付き合いを一切しない演出家さんもいますね。最近増えていますが、僕なんかは戸惑ってしまいます。

 そういう人は役者のいる場が嫌なんでしょうね。唐さんは真逆ですけど。

大鶴 どっちが正しいかではなくて、スタイルなんでしょうね。

 いやいや、唐さんが正しい。商業ベースなら必要ないかもしれないけれど、そういうコミュニケーションがないと、芝居の新しい芽は出てこない。人と人のぶつかり合いがないと、新しいものは生まれない。コミュニケーションをしない、つまりぶつかり合わない演劇には、愛情の薄さを感じる。
 義丹は逆に親からの偏執的な強い愛情を受けて反発したけど、その愛情が今、やっと分かるんじゃないかな。この小劇場の世界から出ていかなかったのも、やっぱりおやじ、おふくろの演劇に対する愛情と、自分に対する愛情を理解できたから。
 唐さんは義丹とずっと対等だったんです。「義丹が俺を投げ飛ばしたんだよ」って僕に自慢したことがあった。唐さん一家がよみうりランド近くに住んでいたとき、鍵を持っていなかった義丹が便所のガラスを割って家に入ってしまった。唐さんは「俺の家壊すな」って義丹と取っ組み合いをして、あげく義丹に投げ飛ばされた。そのことを延々と自慢するんですよ。「金ちゃん、義丹強いんだよ」って。唐さんってそんな少年性を持ち続けている人なんです。
 演劇人の基本は大人にならない何かがあることなのかな。大人になることで、幼少期に持っていたもの、例えば自然との交信とか、そんな芽が摘まれ、潰される。それを潰すのは偏った教育なのかもしれない。みんなと歩調を合わせなさいって、芽を一個一個刈り取っていって、人間性を失わせて、国のため社会のために犠牲になれる人間をつくる。戦争のような時に役に立つように。でも、誰かのために死ねと言われても、それをやらないのが演劇人。義丹は何も摘まれてない感じがする。唐さん、李さんの育て方がそうだったけど、摘まれなかった分、自由だから親にすごく反発して……それが今、全て許している。これからの小説、楽しみですよ。次の作品の題名は決まってるの?

大鶴 まだ決まっていないんです。子なし夫婦の話ですけれど、悲劇的な終わり方になる予定です(笑)。僕は破滅がないと駄目なので。小説家は十年しか書き続けられない、なんて言っている作家もいるそうです。でも最近、すごく文章が出てくるようになったので、四十代に「書けない」って拗ねてぶん投げてしまったのがよかったのかもしれない。今、書くことが楽しいです。

大鶴義丹×金守珍 『女優』刊行記念対談「女優という生きもの」_e