【中村憲剛×佐伯夕利子対談 前編】スペイン・ビジャレアルの育成法から学ぶ「Doing」と「Being」の大きな違い_3

選手も指導者も、カオスの中でもがくことで成長する

中村 
先ほど佐伯さんが「フットボールはほとんど開発されている」とおっしゃったじゃないですか。確かに(ボールを受ける際に)1回で前を向くことや、ポジショニングのことなどは年代問わず絶対に必要なことだと僕は考えています。僕が現役時代に後輩たちと一緒にサッカーしながら「こうやったほうがいいよ」とアドバイスしたことも、プロで学ぶのではなくて、プロになる前の育成年代から伝えていけばいいんじゃないかなと思うんです。

たとえば、リフティングを1000回できないとダメとか、ドリブルばかりやるとか、ドリルみたいな指導もあります。もちろん、これはスキルを磨くという意味ではとても大切なことであるのは間違いありません。しかし、これはそれを否定する意味で言うわけではないので誤解してほしくありませんが、サッカーはゲームの中でどうやるか、なので、やっぱりどんどんゲームをやったほうがいいんじゃないかと思うんです。そんな風に、指導者をやりながら生じた疑問を佐伯さんに「スペインではどうなんですか?」と当時聞きまくっていたんですよね。そうしたら「スペインでもゴールがついた練習こそメインだ」と。

佐伯 
人間って自分がいつも慣れているものと違うものに対して、違和感を覚えることはたくさんあります。その点において日本サッカーの育成のことで言えば、これは私の良し悪しのジャッジではありませんが、あまりにもトリミングされて、フットボールから遠ざかったところでトレーニングを繰り返している映像をSNSなどでもよく見かけます。これはスペイン人の感覚からしたらNGなんですね。

中村  
なるほど。

佐伯 
フットボールのトレーニングはあくまで包括的、インテグラル(総合的)、リアリティに近い状態でエクササイズの一つひとつを創出しなければなりません。ビジャレアルは特にその傾向が強いです。(トレーニングメニューは)きちんとチェックされ、指導者は「子どもたちの頭はちゃんと活性化しているのか?」と聞かれます。もしそうじゃなかったら差し戻されて、つくり直さないといけないんです。そこは実に徹底されています。憲剛さんが言うようなドリルなら、ビジャレアルだと「子どもたちの頭が活性化されていないよね」というフィードバックが出てきて、つくり直そうってなると思いますね。

中村 
頭のなかを柔軟にしておくということですね。

佐伯 
そうです。私の認識で言うと、ラテン系民族はカオスの中で秩序を保とうとするんですね。だから天才的なフットボーラーが生まれるし、発想や創造性が圧倒的なんです。日本サッカーももう少しカオスに揉まれて、柔軟な思考をつくっておくほうがいいとは考えます。だってフットボールって、そもそもカオスなスポーツでしょ。自分で考える、自分で決定する。そこが大事なのに、構造化された状態でばかりトレーニングしていては、考えられる選手は育ちません。

中村
「止める、蹴る」のベーシックなところだけやらせたら日本の子どもたちのほうがうまいかもしれない。だけどボール回しやポジショニングが入ったゲーム形式になると、ガラッと変わる。相手がいると、急に難しくなってしまうのが日本なのかもしれません。

今、U-22兼U―20日本代表コーチを務めている冨樫(剛一)さんがスペインに行ったときの話を聞いたことがあって。スペインの育成年代はゴールをつけてないところでポゼッションのトレーニングをやってもボールがそんなに回らないのだけど、ゴールを設置した途端にボールが回り始める、という話が印象的でした。佐伯さんの話を聞くと、そりゃそうですよね、と。小さいころからゴールのあるシチュエーションでずっとトレーニングしているわけですから。いかなる場合でもゴールという方向がつき、ゴールに向かうために最適なポジショニング、ボールコントロール、判断が、相手のある激しいプレッシャー下で必然的に養われていく。そこがスペインの育成のベースになっているんじゃないのかなって感じますね。

佐伯 
そのとおりですね。

中村 
僕もそうですが、指導者はどうしても「こうしたほうがいい」というものがあると思うんです。ただ、育成年代の日本の子どもたちを1年間見てきて、「もちろんポジションはあるけど、ゴールするために自由に動いていいんだぞ」と伝えてプレーさせても、相手を見てどうゴールに向かうのか、そのための認知や判断がしっかりできていない印象があります。形を覚えるのは早いのですが、それを応用して相手の裏を掻くプレーが少ないかなと。なので、全部の要素を「Being」にしてしまうのではなく、うまく声かけしていかなきゃいけないところもあるのかなと。だから、そこはもう毎日考えています。何が正解かはわからないですけど、正解ばかりを別に求めなくてもいいのかなとも感じています。

佐伯 
今、同じことを言おうと思っていました。

中村 
正解を求めなくてもいいんですよね?

佐伯 
もし20人いたら20人の捉え方があるから、それでいいと思います。たとえば大人たちがミーティングをしたとします。そこで着地点にたどり着かなかったら、そのミーティングは意味がまったくなかったかといえば、そんなことはありませんよね。子どもたちも20人いたらそれぞれ成長のリズムもスピードも違いますから。

中村 
サッカーというカオスのなかで、頭を使っていくことが指導者でも求められていく、と。

佐伯 
そう、カオスのなかに引き込まれると人って意外に頭を使うんですよね。私たちもビジャレアルの指導改革の際、メソッドディレクターに「どこに着地したいの?」とたずねても「わからないよ」って言われましたから(笑)。ただ、カオスの中でもがくことで私たちは変わることができました。たとえば、「4-3-3のシステムだったらこうする」という戦術指導も、言い方は悪いですけど、こうさせたいっていう指導者のエゴみたいなところが見えてくる。私たちも答えありきで選手にも求めていたんだなって気づかされて。

中村 
自分もそちらの方向に行きかけていました。「こうなったらこうなんだから、こうやればいいんだよ」って。だから、佐伯さんと話すことで、その考えだけではないのではないか、それだけを伝えるは違うのではないかと気づかされたことが本当に大きかったんです。その教え方なら、覚えるのは早いのですが、本当の意味で彼らのものにはおそらくならないじゃないですか。そのやり方だと、子どもたちが違うやり方に出会ったときに対応できなくなってしまうから。自分がやってほしいことをやらせるのではなくて、彼らが「これ学んでおいてよかったな」というものを、いかにヒントとして与えられるかが育成では大切なんだと思っています。

佐伯 
指導者としてのこれからの憲剛さんが本当に楽しみです。

後編につづく)

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