プロデューサーとして喜びを感じた瞬間

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──現場には朝一番に入り、監督が来る前に小道具からデコレーションまで全部チェックすることもやっていらしたとか。

そうですね。その上でキャスト、クルーを呼んでのリハーサルに立ち会い、動きの直しをし、アイディアを提供しながらシーンを作っていき、それから自分のトレーラーに戻ってメイクをするという日々でした。

特に日本人の俳優、スタッフは初めて海外の作品に参加する人が多かったんですね。勇気を持って飛び込んできてくれたからには、最高のパフォーマンスを引き出して「やってよかった」と思ってもらうことが自分の役割だと思っていました。システムの違いを説明したり、海外のスタッフとの間を取り持ったりしました。

あとは通訳はいるのですが、現場では監督が俳優に望むものを引き出すための、実際に話した言葉だけではない通訳をしていました。僕は役者でもあるので、俳優にとってわかりやすい言葉を使って説明することもできる。それでいいパフォーマンスが出て、プロデューサー陣全員が「これだね」となったときの喜びたるや、もう「(ガッツポーズを取りながら)よし!」っていう。自分の芝居を褒められるよりうれしくて楽しくて、プロデューサーとして心から喜びを感じる瞬間でした。

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──真田さんのそうした作品に臨む姿勢が、結果として優れたリーダーシップにつながったのだろうと想像できます。

そうですね、僕自身はもうとにかく日々、ゼロからモノづくりに参加できることが楽しくて仕方がなかった。これまでと大きく違うのは、プロデューサーとしての発言権があるので、みんなが話を聞いてくれるということ。プロデューサーというタイトルのあるなしで、これほど違うのかと痛感しました。

そういう意味では、僕が演じた虎永もまた、将軍というタイトルがなければ平和な時代を築けなかったかもしれない。どこかでオーバーラップするところがありましたね。自分にプロデューサーのタイトルがなければ、この作品をまっとうできなかっただろうと思います。