「金八先生」に三原じゅん子が抜擢された背景

子役の三原がツッパリ役に抜擢された背景はなんだったのか。堀越氏が続ける。

「当時は全国的にツッパリブーム。だからツッパリ役が“偽物”だと全国のツッパリからナメられて、格好がつかない。その点、三原じゅん子は小学校4年生で同級生の男子をボコボコに殴って一目置かれたり、中学時代は彼女の芸能活動に嫉妬した同級生からいじめを受けたとされていますが、ナメられないようにヤンキーの格好をして登校したりと、その度胸が役どころにピッタリだった。実際に演じてみても、その説得力から『三原じゅん子っての、やるじゃん』とツッパリたちからも評価され、当たり役につながったのでしょう」

そのあたりのエピソードについては、自著『片恋いのラブレター あなたに伝えたい』(ワニブックス。1980年発行)に詳しい。

『片恋いのラブレター あなたに伝えたい』(ワニブックス)
『片恋いのラブレター あなたに伝えたい』(ワニブックス)

「〈もういいや、ツッパってやろう〉
そう思ったの。志村一中は、真面目な子ばっかりだったから、すごく目立ってた……。
スカートを長くして、カバンはペッタンコ。授業中も腕組んで、足組んで、ふんぞり返って聞いてたの。言ってみれば、『金八先生』の山田麗子みたいな感じでした」

山田麗子の名言「顔はやばいよ、ボディやんな、ボディを」は現代の若者でも聞いたことがある人も多いはず。

そこからすっかりヤンキーイメージがついた三原は当時の雑誌のインタビューでもその豪胆さを発揮。1981年7月発売号の「明星」で当時交際していた俳優・宮脇康之との仲について聞かれ、このように答えている。

「どうしてこんなに騒がれるのかしら。16歳の女の子が恋をするのは当たりまえでしょ。私はタレントだからって、それをとりつくろったり、ウソをついてまで生きのびようとは思わないわ。自分の心に正直に生きるだけ。もう少しそっとしておいて欲しいの」

三原と同世代の50代女性ライターも振り返る。

「金八先生シリーズはその後、仙八、新八、含めたくさんのアイドルを生み出したけど、ヒロイン役でいえば、三原順子の人気は別格。まずなによりマブかった。あの頃はかわいくて目立っちゃう女子はすぐ不良たちに目をつけられて、ツッパリに転がる運命。マブくてヤンキーは最強だったのよ。うちらは三原順子より2コ下だから“順子姐さん”って呼んでましたね。それだけに、ケンちゃん(宮脇康之)と付き合い始めたときは大ショック。あれはイメージダウンだったわ……」

さらに忘れられない思い出として語る。

「歌手としては『セクシー・ナイト』のほうが売れたけど、うちら世代にとっては断然『だって・フォーリンラブ・突然』ですね。それまでのダークなセクシー路線とは大きく方向変換した大人の女のロックンロールって感じが、順子に超マッチしてました。それもそのはず、作曲は横浜銀蝿のTAKU、作詞は山田麗子ですからね。金八の山田麗子のヤンキーマインド全開なわけですよ。この曲で1982年の紅白にも出ましたが、全身スパンコールのジャンプスーツで、肩から下げた豹の巻き物をブンブン振り回してのパフォーマンスは忘れられません」

1982年5月にリリースした8枚目のシングル。『だって・フォーリンラブ・突然』
作詞:T.C.R.・横浜銀蝿・R.S. & 山田麗子 作曲:TAKU(キングレコード)
1982年5月にリリースした8枚目のシングル。『だって・フォーリンラブ・突然』
作詞:T.C.R.・横浜銀蝿・R.S. & 山田麗子 作曲:TAKU(キングレコード)