2010年代以降、訪日中国人観光客が増加したこともあって、いまや日本でも「春節」の存在が広く知られるようになった。これは旧暦の正月(旧正月)で、中国本土や台湾・香港、韓国、ベトナムなど日本以外の漢字文化圏の各国では、西暦の1月1日よりもこちらを盛んに祝う。今年の春節は2月10日だ。

春節はベトナムではテト(Tết)と呼ばれる。基本的に中国の春節と同じ日(25年に1回だけ1日ずれる)で、盛大に爆竹を鳴らすなど中華圏の春節と似た祝われ方をするが、バインチュンというちまきに似た食べ物を食べるなど違った部分もある。

現在、日本にはベトナム系の仏教寺院が複数あり、テトの際は多くの在日ベトナム人が集まる。そこで、埼玉県越谷市にある南和寺(Chùa Nam Hòa)に様子を見に行ってみた。

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2月9日夜、年越し法要の後に寺院側から配られたお年賀。数珠が入っていた。(撮影:Soichiro  Koriyama)
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越谷駅前のバスからベトナム人だらけ

南和寺でのテト関連行事は、大晦日にあたる2月9日の夜の年越し法要と、テト当日の法要、さらに2月11日の出し物と、3日にわたりおこなわれる。

行事のメインは11日の出し物である。本来は元旦の10日におこなうらしいが、寺に集まる在日ベトナム人には技能実習生や勤労留学生も多いため、彼らが確実に休みを取れる日曜日に開催することになっているらしい。

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民族衣装姿の人も。すてきなファッション。(撮影:Soichiro Koriyama)

同日の朝に越谷駅で乗り換えると、寺に隣接するしらこばと水上公園行きのバスの乗客はほとんどがベトナム人で、すでにどこの国にいるのかわからないような空間になっていた。

午前10時半ごろに寺に到着すると、すでに100人以上のベトナム人が集まり、仏様に初詣をするべく列を作っている(最終的に300人くらいまで増えた)。大規模公園に隣接しているので、マイカーで来ても停める場所は充分あるようだ。

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初詣のために並ぶベトナム人たち。アオザイでめかしこんだ女性の姿も見える。 (撮影:Soichiro Koriyama)

参拝者には技能実習生や留学生らしき20〜30代の男女が多い。子連れの家族もいるが、彼らは留学後に日本に定住して就職や起業をした人たちだろう。若者の群れに混じって、60代くらいの男女が多少いるのだが、彼らはおそらく1980年代にインドシナ難民として日本にやってきた人たちだ。

現在、日本にあるベトナム寺はこの南和寺のほか、東京都や神奈川県、埼玉県本庄市、静岡県浜松市、兵庫県の神戸市や姫路市など各地にある。その多くは、往年のインドシナ難民たちが日本での暮らしを安定させてから、故郷を懐かしんで建てたものだ。

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南和寺の建物は文字通りの「手作り」。日本に定住したインドシナ難民たちが、ホームセンターで資材を買ってくるなどして寺を自作した。(撮影:Soichiro Koriyama)

たとえば南和寺の場合、2003年に難民たちが文字通り「手」を動かして建てたというすごい歴史がある(インドシナ難民は日本で建設業などのブルーカラー業界で働いた人が多かったのだ)。ただ、近年は新たに来日した若いベトナム人の出稼ぎ労働者が激増したため、寺に集まる人たちはむしろ若者がメインになっている。

すごく手作り感あり

午前11時、まずはテトを祝う踊りが始まる──。と聞いていたが、その場にいる人に聞くと「ベトナムタイムだから」すぐには始まらない。15分くらい経ってようやく、白地にピンクの花が描かれたアオザイ姿の若い女性が並んで踊りはじめた。アオザイはすごく美しいのだが、踊り手の動きはあまり揃っておらず、スピーカーからはたまにザラザラと雑音が鳴る。手作り感がすごい。

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あでやかに舞いテトを祝う女性たち。なお、この服では寒いので背中には貼るカイロを2枚貼っている。 (撮影:Soichiro Koriyama)

やがて、寺の前に据えられた竹からぶら下がった長大な爆竹の点火イベントがはじまった。その場の全員がベトナム語で「三、二、一!」とカウントダウンして点火──。するはずだったが、ライターの火がつかない。しばらくみんながあたふたしてから、突然火がつき、爆発がはじまった。

爆竹が爆ぜてからベトナム式の獅子舞が始まる。こちらは失敗なく進行し、激しいアクションを見て数百人のベトナム人が盛り上がっている。現場で2頭の獅子より人気を集めていたのは、彼らを操るように踊る布袋の面をかぶった男性で、ピエロのようなユーモラスな動作だ。突き出た腹(詰め物をしてある)を触るとご利益があるらしく、たくさんの人に触られていた。

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ベトナム式獅子舞と布袋さん。なかなか見応えあり。(撮影:Soichiro Koriyama)

事情を聞くと、踊っている若い女性や獅子舞役の男性の多くは、イキのいい留学生や技能実習生が南和寺の僧侶の指名や友達関係にもとづいて選ばれているらしく、彼らが帰国するたびにメンバーが数年で入れ替わるようだ。出し物に手作り感があるのはそういう事情ゆえなのだろう。たまには、踊り手の女の子たちと獅子舞役の男性との間でロマンスがあるらしい。

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獅子舞チームの楽屋裏。スキンヘッドの男性が布袋役で、おなかには詰め物を入れている。 (撮影:Soichiro Koriyama)

寺からも10年間の変化がわかる

実はこの南和寺は、私が在日ベトナム人取材をするときの通訳であるインドシナ難民2世のチー君と出会った寺でもある。私が最初に訪れたのは約10年前で、そのときにまだ高校1年生だった彼と出会った(拙著『移民 棄民 遺民』(KADOKAWA)参照)。

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普段は筆者の通訳を手伝ってくれているチーくん。キャリアの浅い獅子舞メンバーのなかで、日本育ちの彼は唯一の古株であり、他のメンバーに教える立場。 (撮影:Soichiro Koriyama)

現在、日本にいるベトナム人は約52万人(2023年6月時点)にのぼり、中国人の約78.8万人に迫る。在日外国人の国籍別人数でも堂々の2位だ。日本のコンビニや農業・建設の現場などでしばしばベトナム人の留学生や技能実習生を見かけることは、いまや誰もがご存知の話だろう。

だが、私が最初に南和寺に行った2013年末の時点では、在日ベトナム人の数は7.3万人ほどだった。

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在日ベトナム人の家族が記念撮影。中国っぽいけれどちょっと違うのがベトナムだ。(撮影:Soichiro Koriyama)

当然、南和寺のようなベトナム寺は現在よりもはるかにマイナーな存在で、寺に集まる人も日本での暮らしが長いインドシナ難民とその家族が中心であり、テトも「もっと静かな感じ」だったという。南和寺を10年ウォッチするだけでも、日本のベトナム人社会の変化がわかる。

寺が担保するモラル

ちなみに、近年来日しているベトナム人の若者の多くが、労働環境が良好とはいえない技能実習生たちだ。そのため、実習先を逃亡して不法就労・不法滞在をおこなう「ボドイ」と呼ばれる人たちの出現も社会問題になっている。

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布袋役の男性と踊り手の女性。今日の主役である。(撮影:Soichiro Koriyama)

ボドイは身元が不安定なことから外国人犯罪との親和性も高く、近年話題になった北関東の家畜窃盗や山梨県の果物窃盗は、いずれもボドイやそれに近い人たちの仕業だ。私は2020年からボドイ取材を続けており(拙著『「低度」外国人材』(KADOKAWA)、『北関東移民アンダーグラウンド』(文藝春秋)参照)、そのせいで相当「やんちゃ」なベトナム人の若者とばかり接してきた。

ただ、当然の話ながら──。テトにベトナム寺に初詣にくるような若者たちは、技能実習生であれ留学生であれ、おそらくこっそり混じっているボドイであれ、みんな仏教用語でいうところの善男子善女人。基本的にまじめで健康的な雰囲気を感じる人たちである(普段のボドイ取材でよく出会う、ヤンキー気質のイキったファッションや言動の人は全然いないのだ)。

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爆竹に点火。冬の埼玉に爆音が響き渡る。なお、周囲は公園と田んぼである。(撮影:Soichiro Koriyama)
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寺院の側も、爆竹イベントは事前にしっかり警察に届け、現場で出るゴミもきっちり分別している。参拝者たちもこれらのルールはちゃんと守っており、路上駐車などもおこなわずお行儀がいい。

宗教がモラルを担保する、という話は現代の日本人にはピンとこないが、ベトナム寺やモスクを取材していると、多少の例外もあれそんな実感を覚えるのも確かである。

事実、技能実習生の間でベトナム寺が心のよりどころになっているという話は、すでに複数の論文が出ている。そこまで難しい話ではなくとも、お酒やギャンブルのような形ではなく多数の同胞と健康的に集まれて、本国と同じ食生活やライフスタイルを送れる場の居心地がよさそうなことは想像できる。ボドイと技能実習生のほかに、「寺」も在日ベトナム人事情を知るうえでは欠かせないトピックなのだ。

取材・文/安田峰俊