ぱすぽ☆ デビューシングル1位の快挙
――そして、ぱすぽ☆ですよね。
そうですね。
――ユニバーサルでのメジャーデビューシングル『少女飛行』(2011年5月4日発売)では、完全にFKDさんのノウハウを使って1位を取りにいったって解釈をしてるんですけど。
たぶんリリースする前に「1位を取りますよ」って『グループアイドル進化論』のインタビューで言ってたんですよ、「絶対取るから」って。
――2011年1月25日発売の本で「オリコン1位を取るためにはどうすればいいか。そこは全員が目標を共有する必要があって、スタッフ全員に1位を取りましょう、なんとかしてナンバー1になりましょう、そのためにベストなことをやりましょうと言っています。なにがなんでも1番を取りにいきます」と宣言していました。
絶対に取る自信がありました。それは僕が培ってきた商法とかいろんなことがあって、メンバー、お客さん、握手会の回数や仕組みを考えたら絶対この数字が取れる、あとはリリース週さえ間違えなければ1位を取れるっていう確信がありました。けどホントに取れたときはちょっとビビりました。
――各メンバー分のジャケ違いのCDを出したりとか、ももクロで培ったノウハウでしたね。ちょうど震災もあっていろんな発売が約1ヶ月ズレて、大物がシングルを出す予定だったのもズレて、運が良かったとは聞いてます。
たまたまスコーンと外れたんです。だから超絶運がよくて。オリコン初登場1位を取れたのは僕もうれしかったですし、所属事務所のプラチナムもそれまでアイドルがいなかったので、そういう称号をつけないとっていうのがありました。逆に俺、ももクロよりぱすぽ☆のメンバーに嫌われてるんじゃないかって思いますけどね、無茶苦茶やってたんで。
――それぐらい追い込んだ。
あのときはマジで追い込みましたね。ライブ終わった直後に「まだライブやるぞ」って言ってみたり。足ボロボロになって靴とか脱いでるんですよ。「まだお客さんいるからもう1本ライブできる」って無理やり3曲やらせたり。
――それはさらに予約を積むため?
そうです(キッパリ)。盤石にするために。あのときは鬼でしたね。でも、どれだけ嫌われようがどれだけ事務所からクレームがこようが、ぱすぽ☆で結果を出さないと俺も終わると思ってたんで。
それがあったおかげで、こうやって40歳までこの業界でご飯を食べさせていただけましたし、感謝してますね。ももいろクローバーのメンバーにも感謝しかないんですけど、ぱすぽ☆のメンバーにもホント感謝しかないです。
――ただし、さんざん追い込んできたからメンバーからは嫌われている可能性が高い(笑)。
死ぬほど嫌われてるんじゃないかな(笑)。
――当時、武器のない者が結果を出すにはそれくらいやるしかなかったんだろうなとは思います。
そうですね、すごい時代でした。