――アイドル戦国時代ってホントに戦国時代だったんですよね。
あの1日に関してはマジで戦国時代でした。偉い人とかみんな来るんですよ。偉い人にも「おまえナメてる? わかってんの?」ってガンを飛ばされ(笑)。向こうからハロプロ陣営がバーッと来て、「あいつか? 調子乗ってんの」みたいな感じで。そこにヒャダインとふたりでひょっこり行って、「うわ、場違いだわー」とか言って、あれはヤバかったですね。
本人たちはどう思ってたかわかんないですけど、実際あの頃、AKBとモーニング娘。が仲良くするなんて考えられなかったんで。スタッフ同士も当然バチバチですし、喫煙所でもずっと睨まれてたり。
――当時スマイレージのマネージャーだった山田(昌治、現在YU-Mエンターテイメント社長)さんが、「負けたら帰れないと思ってた」ってよく言ってますもんね。
僕も絶対負けらんねえと思ってました。一発目で『怪盗少女』やったら絶対に勝てるって確信だけはありました。
AKBとの意識の違い
――実際かなりのインパクトでした。あの時代がいかに本当の戦国だったのかっていう検証はボクのライフワークでもあるんですよ。表に出てない話も含めておもしろくて。
マジですごかったです。そのとき唯一話せたのがAKBの湯浅(洋、劇場支配人)さんだけだったんですよ。それで世間話をしてたら湯浅さんがパッと出て行って、「わかりました、先生」とか言ってて。
「秋元康さんと何話してたんですか?」って聞いたら、「このNHKホールで収録やるのが今年あと3回。『紅白』の前哨戦の3回だから、どう仕上げるか考えてやれよって言われた」と。ここがゴールのももいろクローバーと違って、AKBはその先の『紅白』を見据えていて、売れてるグループとはここが違うんだ、負けたなってすっげえ感じましたね。
――ももクロ側は「地上波だー!」ってだけのテンションですもんね。
どうぶちかますか考えてるだけで。あのときはどうしたらウチの子たちが勝てるんだろうとか、そんなことばっかり考えてましたね。
なぜももクロから離れたのか?
――話を戻します。ユニバーサルに入ったのにももクロがすぐいなくなったとき、どうしようと思ったんですか? 楽しすぎて会社まで辞めたぐらいなのに。
二択あったんですよね。スターダストに行くか、ユニバーサルに残るか。自分は力不足だと思ったんです、素直に。俺がやってたら売れねえわって。だって業界のコネもないし、すげえ売れたミュージシャンでもないし、ただの秋葉原のあんちゃんがこんな舞台を用意してもらって。
でも、周りはそんな方ばっかりなんですよ、ローディー上がりで一緒にのし上がってきた人とか、新卒でバリバリやってきた幹部候補とか、あとは親が超有名な会社の社長の息子とか。そんななかにポンと放り込まれて、俺なんもできねえわっていうのが本音でしたね。俺がやっても無理だっていうのがあって。