高校3年生でお店を継ぐことを決意

東東は1980年に池田さんの祖父、帯刀(たてわき)武次郎さんが創業した町中華。戦後間もない生まれで、ご飯をろくに食べられなかった経験から、「お客さんにはお腹いっぱいになって満足してもらいたい」とボリュームのあるメニューを提供。帯刀さんの人柄や、飽きのこないやさしい味つけなども相まって地元で愛される人気店だった。

池田さんの祖父、帯刀武次郎さん
池田さんの祖父、帯刀武次郎さん

「小さいころからおじいちゃんの店によく遊びに行っていました。いつもお客さんがいっぱいで、一緒に遊びたいのになかなか遊べなくって」と池田さん。帯刀さんの作る甘酢ダレがかかった天津丼が好きで、お店に行くとよく作ってもらっていたという。

「太陽みたいに明るくて、お客さんみんなから好かれるおじいちゃんでした」

そんな帯刀さんは2020年の7月に膵臓がんが発覚し、余命3ヶ月と診断された。それでも帯刀さんは自分のこと以上に店のことを気にかけ、テレビ電話を繋いでスタッフに店の様子を聞いたり指示を出したりしていた。

「闘病中で大変なときもお店のことばっかり心配していて。お店のことを本当に大切にしているんだって気持ちがすごく伝わってきました」

帯刀さんは2020年9月に他界。当時、店は帯刀さんなしでは回らない状況となってしまい、一度は店を閉める話も出た。そんなとき、池田さんは「おじいちゃんが大切にしていた店をどうしても潰したくない」と店を継ぐことを決意した。

ラーメンをつくる池田さん
ラーメンをつくる池田さん

当時はまだ高校3年生。それでも、実家のある埼玉県から店の2階に引っ越して祖母と生活しながら店に立つことに。

「最初は、とにかくお店を守りたいって気持ちが強かったです。大学進学後にどうやって勉強と両立するかとかは全然考えてなくて。とりあえず、お店を潰したくないから、私がお店に立って、おじいちゃんの代役をしなきゃって。後先考えずに動いていました」

バイトも経験したことがなかった池田さん。はじめはわからないことばかりで、もともといたスタッフに話を聞きながら、手探りの状態でのスタートだった。そんなころ、たまたま再会したのが幼稚園の頃からの幼なじみのシュウさんだった。

鉄鍋を振るうシュウさん。最初は鉄鍋の重さになれず、腱鞘炎になったり、火傷をしたりすることも多かったそう
鉄鍋を振るうシュウさん。最初は鉄鍋の重さになれず、腱鞘炎になったり、火傷をしたりすることも多かったそう

「2人とも推薦で大学の入学が決まったので久しぶりに一緒に焼肉を食べに行ったんです。そしたら、穂乃花がおじいちゃんの店を継いだって聞いて、驚きました」とシュウさん。

「ちょうどそのころ、私の両親が台湾に帰ることになっていたので、店の2階に住み込みで一緒に働かせてもらうことにしたんです」