日本サッカー史上初めて
W杯後も指揮をとる森保監督
しかし、実は日本サッカーの史実ではそんなことは一度もない。
2010年南アW杯。この時は大会直前のテストマッチの成績が芳しくなく、当時の岡田武史監督が大胆に「守備的サッカー」に戦術を変更した。ずっと主力だった中村俊輔をサブに回し、本田圭佑を中心に据えた。
2018年のロシアW杯でもそうだった。チームの雰囲気の悪さからヴァイット・ハリルホジッチ監督を本大会2ヶ月あまりの段階で電撃解任。揉め事のあと、西野朗監督の下で結束しベスト16入りへと繋げた。
直前の変化こそが大会での好成績を生んだのだ。
もうひとつ、森保解任が一考に値する理由がある。
「日本サッカー界は“ちゃんと” A代表監督更迭をやったことがない」
厳密に言うと、W杯本大会常連国になって以降の話だ。1998年フランスW杯のアジア予選時には、加茂周監督を中央アジアのウズベキスタンで解任するという出来事があった。いっぽうで前述のハリルホジッチもW杯本大会2ヶ月前での解任劇だった。
追い込まれて、エイッと更迭を行なったことはある。しかし、その時点の結果・内容・チームの雰囲気から将来を予測して「このままではダメだ」と判断し、更迭を行はったことはない。ハリルホジッチなどは好例で、決断を先送りにした結果だともいえる。
更迭をしない。これは誇るべきことだろうか? 見方を変えれば、未来を予測した決断ができないということではないか、予定調和が過ぎる。いわば「ノーリスク信奉」の結果なのだ。
まだ現時点では「監督を替えろ」とまでは筆者は思わない。アジアカップでの上田、毎熊の台頭は収穫だった。ただし、チームが「ピークを懐かしがる」という状況に陥ったのなら、それが解任のタイミングだ。森保監督はその点で難しさを抱えている。史上始めてW杯後も指揮を執り続けることになったゆえ、「カタールW杯での成功」のイメージが強くあるからだ。
4年間もいい時期が持続した前例はない。森保監督もファンもメディアも、「ぶっ壊して前に進むこと」をためらうことがあっては次の成功はない。
取材・文/吉崎エイジーニョ
写真/shutterstock