阪神タイガースをわずか33試合で“解任”された伝説の第8代監督は「プロ野球経験ゼロ」の「田舎のおじいさん」だった!
昨年、18年ぶりの優勝を果たした阪神タイガースの歴史上、「最大のミステリー」とされる人物がいる。第8代監督・岸一郎。1955年シーズン、プロ野球経験ゼロの還暦を過ぎたおじいさんが、突然、タイガースの一軍監督に大抜擢されてしまったのだ。タイガースの悪しき伝統である“お家騒動体質”が始まったきっかけとされるこの謎の老人の正体とは?
タイガース“お家騒動体質”の原点
1980年。日本のスポーツライターの草分け的存在である大和球士は『真説日本野球史』において、岸一郎をこのように書いている。
〈昭和三十年の阪神のオーダーは優勝を狙うに十分な布陣であったが、内紛があってチームは和を欠いた。思うに阪神はその後も小型内紛、大型内紛を繰り返し、常に実力兼備のチームでありながら昭和五十五年に至るまでに優勝わずか二度に過ぎぬ。情けない限りである。チームの和を欠く阪神の悪伝統の原点が、三十年の岸退陣事件にあったと断定しても差し支えあるまい〉
ひとつに、岸一郎の監督就任はオーナーの独断で行なわれたこと。タイガースの監督は、それまでチームの主力選手がなるべくしてなっていた。
誰もが納得できるチームの顔が順番に就任していたわけだが、岸の就任はタイガースでオーナーがはじめて監督人事に口を出したケース、つまり現場介入の元祖となり、以降電鉄本社の意向は大きくなっていく。
もうひとつに、この岸退陣事件では、主力選手が監督を無視、反抗し、ついにその座から追い落としてしまうという、あってはならないことが起きたといえる。
これにより悪しき伝統といわれる〝選手王様気質〟が確立され、やがてプロ野球史上に残る大事件「藤村排斥事件」へと繋がるタイガースの〝お家騒動〟の発火点となった。
だが、このことも付け加えておきたい。岸一郎が野球界から消えた7年後の1962年。タイガースは藤本定義監督の下、2リーグ制になってはじめての優勝を成し遂げる。
その中心には村山実とWエースを張った小山正明に鉄壁の内野陣を形成した吉田義男、三宅秀史など、岸が期待をかけた若手選手が主体となった「投手を中心とした守り勝つ野球」の結実でもあった。
そこから61年後の2023年。タイガースは6度目のセ・リーグ優勝を果たした。岡田監督にとっては2005年以来2度目の栄冠。複数回優勝は、藤本定義監督以来2人目の快挙でもある。
「投手を中心とした守り勝つ野球」で優勝を手にした早稲田大学出身の名将二人。しかし歴史の影には、彼らの大学の先輩でもあり、タイガースではじめて「守りの野球」を提言した悲運の監督の存在があったことを忘れてはならない。
文/村瀬秀信
2024年2月5日
1,980円
四六判/320ページ
ISBN:978-4-08-790149-8
2023年に18年ぶりの優勝を果たし、沸き立つ阪神タイガース。
そのタイガースの歴史上、「最大のミステリー」とされる人物がいる。
第8代監督・岸一郎。
1955 (昭和30) 年シーズン、プロ野球経験ゼロの還暦を過ぎたおじいさんが、突然、タイガースの一軍監督に大抜擢されてしまったのだ。
「なんでやねん?」 「じいさん、あんた誰やねん?」
困惑するファンを尻目に、ニコニコ顔で就任会見に臨んだ岸一郎。
一説には、「私をタイガースの監督に使ってみませんか」と、手紙で独自のチーム改革案をオーナーに売り込んだともいわれる。
そんな老人監督を待ち構えていたのは、迷走しがちなフロント陣と、ミスタータイガース・藤村富美男に代表される歴戦の猛虎たち。メンツを潰された球団のレジェンド、前監督の松木謙治郎も怒りを隠さない。
不穏な空気がチームに充満するなかで始まったペナントレース。
素人のふるう采配と身勝手に振る舞う選手たちは互いに相容れず、開幕後、あっという間にタイガースは大混乱に陥っていく……。
ファンでも知る人は少なく、球史でも触れられることのないこの出来事が単なる“昭和の珍事”では終わらず、タイガースの悪しき伝統である“お家騒動体質”が始まったきっかけとされるのは、なぜなのか? そもそも岸一郎とは何者で、どこから現れ、どこへ消えていったのか?
満洲─大阪─敦賀。ゆかりの地に残された、わずかな痕跡。吉田義男、小山正明、広岡達朗ら当時を知る野球人たちの貴重な証言。
没年すら不詳という老人監督のルーツを辿り、行方を追うことで、日本野球の近代史と愛憎渦巻く阪神タイガースの特異な本質に迫る!