タイガース“お家騒動体質”の原点
1980年。日本のスポーツライターの草分け的存在である大和球士は『真説日本野球史』において、岸一郎をこのように書いている。
〈昭和三十年の阪神のオーダーは優勝を狙うに十分な布陣であったが、内紛があってチームは和を欠いた。思うに阪神はその後も小型内紛、大型内紛を繰り返し、常に実力兼備のチームでありながら昭和五十五年に至るまでに優勝わずか二度に過ぎぬ。情けない限りである。チームの和を欠く阪神の悪伝統の原点が、三十年の岸退陣事件にあったと断定しても差し支えあるまい〉
ひとつに、岸一郎の監督就任はオーナーの独断で行なわれたこと。タイガースの監督は、それまでチームの主力選手がなるべくしてなっていた。
誰もが納得できるチームの顔が順番に就任していたわけだが、岸の就任はタイガースでオーナーがはじめて監督人事に口を出したケース、つまり現場介入の元祖となり、以降電鉄本社の意向は大きくなっていく。
もうひとつに、この岸退陣事件では、主力選手が監督を無視、反抗し、ついにその座から追い落としてしまうという、あってはならないことが起きたといえる。
これにより悪しき伝統といわれる〝選手王様気質〟が確立され、やがてプロ野球史上に残る大事件「藤村排斥事件」へと繋がるタイガースの〝お家騒動〟の発火点となった。
だが、このことも付け加えておきたい。岸一郎が野球界から消えた7年後の1962年。タイガースは藤本定義監督の下、2リーグ制になってはじめての優勝を成し遂げる。
その中心には村山実とWエースを張った小山正明に鉄壁の内野陣を形成した吉田義男、三宅秀史など、岸が期待をかけた若手選手が主体となった「投手を中心とした守り勝つ野球」の結実でもあった。
そこから61年後の2023年。タイガースは6度目のセ・リーグ優勝を果たした。岡田監督にとっては2005年以来2度目の栄冠。複数回優勝は、藤本定義監督以来2人目の快挙でもある。
「投手を中心とした守り勝つ野球」で優勝を手にした早稲田大学出身の名将二人。しかし歴史の影には、彼らの大学の先輩でもあり、タイガースではじめて「守りの野球」を提言した悲運の監督の存在があったことを忘れてはならない。
文/村瀬秀信













