肋骨骨折を隠して試合に出場したことも

鼻骨骨折もサウナで止血……鳥谷敬“バットマン”誕生秘話_1
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プロ4年目となる2007年。遊撃手のレギュラーに定着、7月には当時の遊撃手としての連続試合フルイニング出場記録も更新、その後もフルイニング出場を続けている最中だった。9月25日の横浜戦で受けた、右わき腹への死球。試合後に病院へ駆け込んだところ、肋骨の骨折が判明した。

チームは8月後半からの10連勝で、最大12あったゲーム差を逆転し、一時は首位に立ったものの、9月半ばから失速。優勝には手が届かなくなったという状況のなか、遠征先のホテルで岡田監督に呼ばれた。

「どうする?」
「クライマックスシリーズには間に合うか?」
「連続試合出場は続けよう」

そんな内容の話だったと記憶している。結局、9月29日の広島戦で途中交代し、フルイニング出場は398試合でいったん途切れたものの、シーズン終了まで肋骨骨折の事実は明かさず、試合に出場し続けた。

2010年5月8日には、甲子園で遊撃後方への飛球を追って、中堅手のマット・マートンと交錯し、腰椎を骨折。2011年5月15日には、初回の守備でゴロを捕球しようとした際に、アクシデントに見舞われた。ボールが人さし指を突くような形になり、右手人さし指爪床裂傷。爪がめくれあがって、骨まで見えるような状態だった。

この試合は打席に入ることなく交代。幸いにもその後の日程がセ・パ交流戦だったので、指名打者や代打などで出場を続け、なんとかボールが投げられる状態になるのを待つことができた。

2015年6月21日にも死球を受け、再び肋骨を骨折。この時は打順を1番、3番から、6番や7番に下げてもらって、回復させながら試合に出ているという感じだった。

骨折は、痛みを我慢しさえすれば、また同じ場所にボールでも当たらない限り、日に日によくなっていく。だいたい1か月ほど経つと、痛みがフワッと消えてなくなるような感じだ。むしろやっかいなのは、肉離れなどの筋肉系のケガ。

一度、わき腹を肉離れした時は、本当に大変だった。ファウルを打った際に違和感があり、その打席でヒットを打って一塁へ走る間に激痛が走った。完全にやってしまったな……と思ったが、もうどうすることもできない。肉離れは日が経つにつれてよくなるとは限らず、下手をすると悪化してしまう場合もあるので、思いきった動きをするのが怖くなるのだ。あまりの痛みに、1打席1スイングと決めながら試合に出ていた時期もあったぐらいだ。