ジョブズがクックに託した指針
しかし、理想主義に走りすぎる傾向にあったジョブズは、1985年に取締役会によってAppleから追放され、1996年末に復帰するまでの10年ほどの間に、同社のブランド価値は地に落ち、倒産寸前までに追い込まれてしまう。
その後、古巣に戻ったジョブズは、製品ラインを整理し、デザイン戦略を立て直し、リアル店舗とオンラインの直販体制を確立するなど、数年あまりでAppleブランドの復活を成し遂げた。そしてiMac、iBook、iPod、iPhone、iPadと、数年おきに世の中を変えるほど斬新な製品を送り出して、2011年にこの世を去った。
晩年のジョブズが力を入れたのは、製品コンセプトやデザインによる差別化だけでなく、素材や製造工程、さらには半導体までも自社開発することで、他社を圧倒する競争力を得るということだった。
たとえば、アルミ合金の切削加工により筐体を量産するという型破りの方法で実現した高剛性のユニボディ構造や、iPhone 4から搭載されるようになったAシリーズチップなど、彼は製品の隅々まで“Apple流”を貫くための道筋を作って亡くなったのである。
現CEOのティム・クックを選んだのもジョブズだが、クックに最後に託したのは、未来のAppleの舵取りをするにあたって、ジョブズならばどうしたかではなく、クック自身がどうするかを大切にせよ、ということだった。
実はApple社内には、ジョブズが自らの哲学を基に作った「Apple University」と呼ばれる研修システムがあり、デザインや機能に関する「引き算の美学」や「テクノロジーとアートの交差点でのモノ作り」を社員に学ばせている。その成果が、日々の業務に活かされるという意味では、彼の哲学は今も生きているといえるだろう。
一方で、経営や会社の運営に関しては、社会情勢や景気の変動が大きく影響する。クックに対して彼自身の判断を重視せよと指示したのは、まさにこの領域に関してのことだったと考えられる。
ジョブズ没後の2014年に発表されたApple Watchの方向性を健康・医療分野に振って成功させたことや、製品と会社全体のグリーン化、最近では開発者に対するAR技術の奨励や「Apple Vision Pro」による空間コンピューティングの推進などは、完全にクックの采配の成果といってよいだろう。
これに対してAppleシリコン以外のMacの革新性が薄れているように感じられるのは、そもそも従来型のパーソナルコンピュータが成熟の域に達してしまっていることが大きい。だからこそのApple Vision Proなのであり、数年で置き換わるようなことはないにせよ、それが未来のMacの姿だともいえるのだ。