「阿木さんの詩を宇崎さんのメロディにのせて歌う時だけが、本気になれた」
間もなく宇崎竜童と阿木耀子から渡されたのが、『碧色の瞳』と『横須賀ストーリー』だった。あまりの素晴らしさに驚いてシングルにしようと、スタッフで意見が一致した。
レコーディングされてから半年後の6月21日。13枚目のシングルとしてリリースされた『横須賀ストーリー』は大ヒット。アイドルとしての彼女の人気を拡大しただけにとどまらず、山口百恵をカリスマ的なスターにまで押し上げた。
川瀬は著書『プレイバック 制作ディレクター回想記』のなかで、「阿木さん、宇崎氏との出会いが、歌手としての百恵をいっそう成長させた」と記している。
百恵自身が、デビューから徐々に成長していくにしたがって、男性の作詞家が描く少女心理の世界に、百恵は没入することが、だんだん困難になってきたのだろう。そこへ阿木さんの登場である。
阿木耀子の書く無垢な少女のイメージは、生きて呼吸している山口百恵自身と見事に重なるものだった。
そのことについて、彼女は引退して結婚した後になってから、こんな文章を書き記している。
阿木さんの詩を宇崎さんのメロディにのせて歌う時だけが、本気になれた。歌うというよりも、もっと私自身に近いところで歌が呼吸していた。
思えば阿木さんの詩を歌い始めた頃から、実生活での私の恋も始まったのだけれども、阿木さんの詩の中に書かれた言葉が、私に恋という感情のさまざまな波模様を教えてくれたようにも思う。
恋をする中で感じた思いを、詩の中に言葉として見つけだしていた。詩の中から、言葉で飛び込んできた感情が、今度は現実の恋の間(はざま)に見えかくれしていた。阿木さんの詩は、そうして私の心の奥深くまで染み込んで行った。
(阿木耀子著『プレイバックPartⅢ』三浦百恵による「解説」より)
宇崎竜童=阿木燿子コンビによる作品と山口百恵の相性はすこぶるよく、その後も『パールカラーにゆれて』『夢先案内人』『イミテーション・ゴールド』とヒット曲が続いた。
また、川瀬は、アレンジに関しては編曲家の萩田光雄がさらにパワーアップさせていったとも述べている。
こうしてロックンロールのエッセンスにあふれる宇崎=阿木コンビの作品は、変幻自在の編曲家ともいえる萩田光雄を得たことで、4年後の引退まで山口百恵の快進撃を支えていくことになっていく。