子どもたちからの手紙を「私の宝物」と大事にしていた
八代さんは同園だけでなく、熊本地震や2020年7月に熊本県を襲った豪雨の復興支援など、いつも郷土・熊本のために尽力し続けてきた。熊本県・蒲島知事も「悲しみの念に堪えません。復旧、復興に向けて歩む被災者を励ますなど、ふるさとを思う多くの活動をしていただいた」と哀悼の意を表した。
彼女のこうした行動の原動力はいったいどこから来ていたのか。富田園長が続ける。
「人柄なんだと思います。本当に優しい方なんだと思います。そして、それだけではなく八代さん自身も人とのつながりを大切にすると同時に楽しんでいる、そんな風に見えました」
去年9月、活動休止について自身のインスタグラムで「膠原病の治療に専念するため、2023年いっぱいはお仕事をお休みさせていただきます。少しの間、大好きな歌と絵から離れなきゃいけないのは寂しいけれど、必ず元気になって戻ってきますので待っててね」と綴っていた。富田園長が最後に八代さんの様子を聞いたのは12月のことだった。
「クリスマスプレゼントのお礼もかねて、こちらからメロンを八代さんの事務所にお送りしようと思って連絡したときに事務所の方とお話しました。『八代さんは入院はしているけどベッドで寝たきりとかではなく、体を動かして病院内で歩いたりしていますよ。今まで走り続けてきましたから、ちょっとお休みしています』と聞いておりましたので、年が明けたら復帰するとばかり思っていました。
だからまだどこかで信じられないという思いがあります。園の子どもたちも八代さんの訃報にショックを受けていて……本当に優しい方でしたから」
生前、八代さんは園の子どもが送ってくれたクリスマスプレゼントのお礼状を『私の宝物』と言って大事にしていたそうだ。同園には創立100周年記念をお祝いして八代さんが描いたという“マリア様”の絵が今も飾られているという。
聖母のような慈愛に満ちた彼女の生き方は、歌とともに多くの人の心を癒したに違いない。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班