同じ境遇の〝仲間〟とささいな世間話をする喜び

今回、取材の窓口になってくれたNPO法人「山友会」のホームページを中心にその現状を概観していこう。

定住所を持たない人たちは保険証を持っていないことも多い。過重労働や怪我などで治療の必要があっても病院に行けない、行かない人も多かった。若いときはまだいいが、歳をとれば長年の栄養不足、酒の飲み過ぎなどで体を悪くする人々も増え、肝硬変、高血圧、糖尿病などの持病を抱えて倒れる人が増えていった。

そのような厳しい問題に少しでも応えるために一九八四年に無料診療所をメーンとして生まれたのが山友会だった。

当初は玉姫公園のそばの木造2階建ての建物で、クリニックの運営をしながら100人分以上の炊き出しをしていた。しかしそこはわずかな暖房設備しかなくすきま風が入り込み、ネズミが走り回っているようなところだった。冬の間だけだったが浅草近くの古い幼稚園を借りて約40人が宿泊できるようにした。

高齢化するホームレス事情から浮かび上がる日本の行政の弱者への冷淡さ「間に仕切りのあるベンチを国外で見たことがない」〈椎名誠が見る路上〉_3
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1985年に三ノ輪駅近くに移転。そうこうしているうちに炊き出しやクリニックの利用者が増え、医師、看護師、ボランティアスタッフの人数も増えていった。しかし、利用者が増えたことにより近所からのクレームが続出したらしい(いろんな理由はあるだろうが、この小市民と名乗るフツーの生活をしている近所の人々、というのもきわめて日本風に冷淡である)。

そこで山友会自身で土地を確保せざるを得なくなり、1989年、清川に3階建ての建物を建て、支援を必要とする人が寄り集まることができる場所をつくり今に至る。

日本経済の発展とともに日雇い労働者が従事できる軽い仕事も減り、バブル崩壊後やリーマンショック後は50代、60代といった年代だけでなく若い世代の失業者も山谷周辺に集まってくるようになった。そしてその頃から隅田川沿いにブルーシート囲いの仮住まいをするホームレスも増えてきていた。

しかし日雇い労働事情はこのあたりからさらに厳しくなり、仮の住処を得ても満足な仕事にありつけずもっぱら山友会の炊き出しやクリニックにかよう人々が増えていったという。

いままでなかなか得られなかったほぼ同じ境遇の〝仲間〟とささいな世間話をする喜びを得る場所になっていった。必要なのは毎日の食べ物や寝場所は勿論のこと、そうした「人間同士の会話」があるのもすこぶる大きかった。


文/椎名誠
写真/shutterstock

#4に続く

「自分がいつか死ぬ」ということを知っている人間という生物
江戸時代日本での実質的な鳥葬
人は孤立死、孤独死をとても辛いものと強く思っている

遺言未満、
椎名誠
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その時、何を見て何を想い どう果てるのか。

空は蒼く広がっているのだろうか。風は感じられるのだろうか――
作家、ときどき写真家がカメラを抱えて迷い込んだ“エンディングノート”をめぐる旅17。

お骨でできた仏像、人とのつながりの希薄さが生む孤独死の問題、ハイテクを組み合わせた最新葬祭業界の実情――。

「死とその周辺」がテーマの取材は、かつて経験した九死に一生の出来事、異国で出合った変わった葬送、鬼籍に入った友人たちの思い出などと重なり、やがて真剣に「自分の仕舞い方」と向き合うことになる。

シーナが見出した新たな命の風景とは?
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