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なぜ2000年代に入って中東諸国が
スポーツ招致に力を入れ始めたのか?

二輪ロードレースの世界最高峰MotoGPが中東のカタールで初開催されたのは2004年のことだ。秋田県ほどの小さな資源国カタールの首都ドーハ郊外に建設されたルサイル・インターナショナル・サーキットで、10月2日に決勝レースが行なわれた。ちなみに、四輪レースのF1でも、この年の4月にバーレーンGPが開催されている。2004年は中東地域にとって、いわば「モータースポーツ元年」のような年だったといっていいだろう。

この当時すでに、中東では大きなスポーツイベントがいくつも開催されていた。テニスのドバイオープンは、男子大会が1993年から、女子大会は2001年から行なわれている。また、総合格闘技マニアの間で寝技世界一決定戦として知られるアブダビコンバットは1998年が初開催で、宇野薫や桜井〝マッハ〟速人たち日本人格闘家が1999年大会から参加した。

とはいえ、これらの競技の知名度はあくまで熱心なファンの間にとどまる程度で、大会を行なう各開催地の一般的な地理的認知は、「中東地域のどこか」という大雑把な理解からさほど脱していなかったようにも思う。

たとえば日本では、1993年の「ドーハの悲劇」という言葉で、カタール国の首都名だけは広く知られていた。とはいえ、そのドーハという都市は中東のどの国にあるどれくらいの人口規模の街で、風景や風物はどんな感じなのか、という具体的な事柄については、サッカーワールドカップが2022年に開催された後の現在と比べると、まだかなりぼんやりとしたイメージだったはずだ。

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中東各国は21世紀になってスポーツへの投資を積極的に行なってきた

それでも、MotoGPが初開催される前年の2003年には、サッカー界のスター、ガブリエル・バティストゥータがカタールリーグへ移籍したことが大きなニュースになり、地域全体は少しずつ一般的な認知度を向上させてゆく途上にあった時期といえるだろう。

この時期は、カタールがバティストゥータを国内サッカーリーグに招聘し、MotoGPを開催。バーレーンではF1初レースを実施。その後も、中東では年を追うごとにF1の開催地が増えていった(2023年は、バーレーン、アブダビ、サウジアラビア、カタールの4大会を開催。

さらにクウェートが将来の新たな開催地として名乗りを上げているという話もある)。また、自転車ロードレースの世界でも、ツアー・オブ・カタールやツアー・オブ・オマーンなどのステージレースを実施。2006年にはアジア大会をカタールの首都ドーハで開催し、それらの延長線上に、2022年のFIFAサッカーワールドカップ・カタール大会という成果がある。

このように、中東各国は21世紀になってスポーツへの投資を積極的に行なってきた。

その理由は、開催各国やイベントごとに、それぞれ独自の事情があるだろう。だが、おしなべて言えそうなことは、1990年代の湾岸戦争や2001年のアメリカ同時多発テロ、それに続くイラク戦争などで「中東のイスラム諸国」として十把一絡げに印象づけられた政情の不安定さや、急進的で厳しい戒律という漠然としたイメージを払拭し、健康的なスポーツ競技を通じて自国に対する理解とプレゼンスを向上させようとする狙いが大きかったのだろう、と推測できる。

また、豊富な天然資源がもたらす潤沢な資金力で、贅を尽くした都市開発を行なうドバイが経済ニュースなどで注目を集め始めたのも、確か世紀を跨いだこの時期だったと記憶する。

ドバイにある世界一高いビル、ブルジュ・ハリファでトム・クルーズがノースタントのアクションを演じた人気映画『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』が公開されヒットしたのは2011年だ。これらの影響で、カネの力にモノを言わせて大規模開発で人工的に造成した富裕都市、という印象を持つ人も多いだろう。

カタールの首都ドーハも同様だ。2004年にMotoGPの取材で初めてドーハを訪れたときは、人口60万少々の小さな街のあちらこちらで再開発事業が進み、レンタカーで道を少し走れば、すぐに白茶けた埃っぽい工事現場に行き当たる、そんな風景が広がっていた。

ドーハ湾に面したアル・コーニッシュ通りはきれいに整備された広い道路で、強い陽光が水面に反射し、道路沿いに並ぶ椰子の街路樹が清潔感を美しく強調する。だが、そこから少し内陸にある環状道路から一本路地を入ると、中低所得層の人々が行き交い、街角の風情もいかにも地元風の猥雑な雰囲気を強く残していた。

そんな街並みも、毎年訪れるたびに建設現場が増えて、サッカースタジアムやショッピングモールが立ち並ぶようになり、幹線道路も拡幅されて街の美化が進んでいった。街中の至るところで夜を徹した大がかりな工事はさらに増え続け、中心部から少し離れた郊外には西欧資本の豪奢な高級ホテルがいくつも立ち並んでいった。

サッカーワールドカップの2022年開催が決定したのは2010年のことだったが、それ以降は街の整備と巨大建設工事にはさらに拍車がかかって、まるでシミュレーションゲームで都市がむくむくと成長してゆくタイムラプスシーンを見ているかのようだった。