見舞いという行為に含まれる、希望と覚悟に引き裂かれるような苦悩

ゲームという創作は、それを遊ぶプレイヤーの為にだけ作られるわけではない。ゲーム作家である作者は自らに突然訪れた悲劇と対峙し、その経験を病室から家に持ち帰った。そして祖母の顔を思い浮かべて絵を描き、耳に残るその息遣いをサウンドとして再現し、自分が祖母に向けて語った思い出をおそらくすべてテキストとして打った。そうしてゲーム化し、記録する事でいま起きていることを自分の外に出そうとした。更にそれを公開する事で、誰かに見てもらいたいと強く思った。人に話す事で悩みを相対化しようとするように、「hospice」を作り公開する事は、行き場のない苦痛から自分の感情を逃がすため彼女にとってどうしても必要な行為だったのだろう。

ようやく病室のベッドから離れることを選ぶと、次は母と娘が向かい合って座っている場面に移る。そこで母から「どう思った?」と短く、率直に質問される。そこで出てくる選択肢は3つだ。

 〝祖母には私たちの声が聞こえています〟

 〝最悪の事態に備えておくべきだ〟

 〝わからない〟

これは選択肢の形を取りながら、どれも等しく作者の胸に去来した逡巡そのものではないだろうか。希望を信じつつも、現実の難しさも知っていて、本当はどう考えたらいいかすらわからない。

見舞いという行為に含まれる、希望と覚悟に引き裂かれるような苦悩。彼女は傷つき、困惑しながらも、確かな作家の目をもってそれを摑まえ、見事にゲームの中に落とし込んだ。そのたくましさの向こう側に、彼女の口から語られた、祖母のユーモラスで、好奇心旺盛で、知的な感受性が透けて見えているように思う。

このゲームが公開されると、コメント欄には同じような経験を持つプレイヤーからの言葉が並んだ。家族が糖尿病の昏睡状態から回復しなかった事を話す者、具体的には言わないが過去にあった出来事を思い出したというコメントなど、様々な声が寄せられている。その誰もがこのゲームを作った作者に感謝の気持ちを表し、そして作者はこのゲームに共感する人の気持ちをいたわるような慈愛に満ちたメッセージを返している。

誰もが死という概念は理解できても、目の前で最愛の人が死に向かっている事実に納得することはできない。迫りくる大きな悲しみの前で人はうろたえ、立ち尽くし、そしていつまでもどうすればいいのかわからない。だからこそ、きっとその体験を共有することには意味がある。作者が絶望から自分を救うために作った個人的なゲームは、これからも同じような境遇の者たちの側に寄り添い、自らの経験をそっと語りかけ続けるのだろう。

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人生のどこかの瞬間と響き合う、個人的なゲームたち――
異能のアニメーション作家による唯一無二のエッセイ集。

戦火のウクライナ発の奇怪な経営シミュレーション、セラピストと絵文字だけで会話するゲーム、認知症患者となりその混乱や不安を体験……

「数多くの個人的なゲームたちと確かに交流したのだという幸福な錯覚は、自分と世界との距離を見つめ直そうとする私に流れる孤独な時間を、今も静かに支え続けてくれている」(本文より)

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この記事は著者が2022年4月に執筆し、雑誌「小説すばる」に掲載したものです。最新のウクライナ情勢を書いたものではありませんので、ご注意ください。