「気を抜いたら慶應には本当に殺されるぞ」
――まずは、おふたりがラグビーをはじめたきっかけを教えてください。
佐々木卓氏(以下、佐々木) 中学時代、ぼくは運動が好きだったんだけど、身体が小さいのがコンプレックスで。そんな時期に、早大ラグビー部OBで当時、住友銀行で働いていた宿澤(広朗)さんが日本代表に選ばれたという新聞記事を見たんです。宿澤さんの身長は、ぼくと同じ163センチとあって「これだ!」と思いました。
ラグビーなら福澤さんのような大男(福澤さんは189センチ)とも渡りあえる、そう考えて早稲田でラグビーをやろうと、高校から早大学院に進学したんです。
福澤克雄氏(以下、福澤) ぼくの出身の慶應幼稚舎(小学校)では5年生からクラブ活動がはじまるのですが、先生からしきりに「ラグビーをやれ」と言われたのが大きかったです。すでに身体は大きかったけど足が遅くて、レギュラーになれなかった。ただ、そんなぼくでも早稲田というところには勝たなければならないとは、いつの間にか思い込まされていましたね。
佐々木 幼稚舎時代から早稲田には負けられないと植え付けられるんだろうね。
福澤 慶應には「ダッシュKEIO」という応援歌があるのですが、歌詞が「早稲田を倒せ!」ですからね。そうやって子どものころから聞かされているから、早稲田を自然に特別視するようになるのかもしれません。でも早大ラグビー部は、慶應よりも明治をライバル視していたのではないですか?
佐々木 そんなことはないですよ。「早慶戦」「早明戦」どちらも勝たなければ、と思っていましたが、ぼくたちが指導を受けた大西(鐵之祐)さんは「早慶戦」の前だけ、特別な檄(げき)を飛ばしていたんです。「気を抜くと殺されるぞ」と。
――「負けるぞ」ではなくて「命を取られるぞ」と。
佐々木 ええ。他のチームに対してはそんなこと言わないんですが、慶應だけは「気を抜くと殺されるぞ」と言われて(苦笑)。毎年、慶應は「早慶戦」の前に「慶明戦」を行うんですが、特に慶應が明治に負けた年は、大西さんの檄も熱を帯びていました。「手負いの獅子ほど恐ろしいものはない。気を抜いたら、お前ら本当に殺されるぞ」と真顔で話すんです。
慶應はあの大西先生が恐れるほどの強さなのか、とぼくらも震え上がる。そんな経験をしていますから、自然と「早慶戦」を特別視しますし、絶対に勝たなければならないという意識になっていく。
福澤 ぼくらの現役時代は、OBに戦争経験者もたくさんいました。試合前、そんな人たちに「死ぬ気でいけ!」と言われると、やっぱり言葉の重みや迫力が違うんですよね。