アトム、アメリカでも飛ぶ

4月から虫プロは『鉄腕アトム』に加え、手塚治虫原作のNHKのSF人形劇『銀河少年隊』のアニメ部分を担当した。竹田人形座の操り人形によるテレビ映画で、1回15分で、63年4月7日から65年4月1日まで92話が放映される(64年4月からは1回25分)。

『銀河少年隊』は「手塚治虫原作」となっている史料もあるが、正確には「原案・キャラクターデザイン手塚治虫」で、原作のマンガはない。虫プロは、宇宙船の飛行シーンやスポーツカーが疾走するシーンなど、人形劇のミニチュアでは迫力の出ないシーンをアニメにした。

物語は、太陽の力が弱まったため地球の生態系に危機が迫り、太陽を復活させられる物質を探すために宇宙の果てへ向かう、銀河少年隊が結成される──これが第1部で、第2部では宇宙人と銀河少年隊が闘う。手塚プロダクションの内容紹介には、〈設定が後の大ヒットアニメ『宇宙戦艦ヤマト』みたい〉と指摘されている。

5月には、『鉄腕アトム』の海外販売に成功した。萬年社の穴見薫が社の業務とは関係ないのに動いてくれたのだ。穴見はテレビ番組の制作や海外のテレビ映画を日本へ輸入していたビデオプロモーション(正式名称は長く「クリエイティブ・アドバタイジング・エージェンシー株式会社ビデオプロモーション」)に『鉄腕アトム』を預けた。同社は手塚とも親しかった久里洋二と柳原良平・真鍋博らによる「アニメーション三人の会」のマネージメントもしていた。

「空をこえて、ラララ」谷川俊太郎作詞の日本初のアニメソングと電通の屈辱。1963年のテレビアニメ『鉄腕アトム』が巻き起こした“アトムショック”とは_2

ビデオプロモーションはアメリカ3大ネットワークのひとつNBCに売り込みを始めた。一方、NBCの日本駐在員のひとりがテレビで『鉄腕アトム』を見て、最初はアメリカ製のアニメだと思っていたのが、日本製と知って驚き、「アメリカでの放映権を入手すべき」と本国へ知らせていた。

この2つの流れが合流し、『鉄腕アトム』はNBCの子会社NBCフィルムズが海外放映権を買うことになった。しかも4クール52本をまとめてだ。日本の映画がアメリカに売れた場合、勝手に編集されるのが当たり前だったが、手塚はそうならない契約を求め、それが通った。