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『首』というタイトルは30年前にすでにあった

───本作は映画『ソナチネ』(1993年)と同時期の、構想30年の作品だと。かつて北野監督のアトリエにはネタ帳が十何冊もあった記憶があるのですが、すでにあのころ、本作の構想やビジョンがあり、いつか映像化をと温めておられたのですか?

あとあと調べるとそういうことになるんだけどね。
『ソナチネ』なんかの台本の中に『首』っていうタイトルがちっちゃく書いてあってね。だいたい本能寺の変には諸説も80ぐらいあるとか言われてるようなんだけど、明智光秀が織田信長を裏切った理由に、おいらなりの一つの仮説があって、それをおおまかに書きとめてあったわけ。

ただ、いずれ映画を撮ると想定した場合、極力、戦国三英傑(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)にはあまり語らせずに物語のある程度の筋道を示すような、例えばモブに考えた曽呂利新左衛門やら百姓の難波茂助みたいな狂言回しの配置を考えるのがなかなか大変で。

あと、羽柴秀吉ってのは信長みたく正統派な武士じゃなくて、平民から成り上がっての武将なんで、当時の侍の作法やら戦国時代の例えば介錯とか切腹とか、そんなことにはまるっきり無頓着というか興味ねぇっていうかね。侍は殿様の身代わりになって死んだりなんかしてるけど、秀吉の権力闘争にとってはそんなことはさらさら関係ねぇってイメージで。小説書いたときにそう決めたんだよね。

番組収録前に楽屋で行われたインタビュー
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───『首』というタイトル自体は30年前にすでにあったんですね。

うん。それはもう最初からだね。

───黒澤明監督が、北野監督が『首』を撮れば『七人の侍』と並ぶ傑作が生まれる、と語られたと?

いや、黒澤さんと御殿場で話したときに、そんなような話をちょっとしたんだよね。ストーリーはそこまで詳しく話さなかったんだけど、「君なら君らしくいい絵が撮れるだろうね」って言ってくださっただけで。
「北野くんの映画の撮り方っていうのは編集が小気味いいね」って。「何がですか?」て聞いたら、「結局、余分なシーンをパッと切るよね。その、無いシーンを後から想像させるからすごいんだよ」と言ってくれて。「いや、想像させるのはいいんですが、実際上手く撮れないし、どうせ撮れないなら想像させて、その前後だけ上手く撮って他はカットしちゃおうっていう気持ちです」と言ったら、「ああ、そりゃいいね」だって(笑)。

後に、今回も協力してくださった衣装デザイナーの黒澤和子さんより、黒澤監督からの直筆サイン入りの手紙が送られてきて。前にもどこかで言ったことあったかと思うけど、「日本の映画界は君に任せるよ」なんて書いてあって、それはうれしかったけどね。

───2019年に小説『首』を出版したときには、すでに映画化を見越した状況だったんですか?

そうだね。でもその前に、端から映画の脚本でやるよりは小説でまず試してみたかったというか。細かいことを言えば当時の言葉遣いなどから確認しなきゃと思って。小説を書くにあたって資料収集に協力してくださった方々共々、自分でも時代考証やその背景など、当時の不明瞭な部分やら社会情勢なんかをいろいろ調べたりして書きあげて。

それから小説としての体裁とは別の、映画では戦国時代の機微を打ち出して、どの部分のどこをどう切り取るのかと。
一応、合戦なら合戦の、戦らしき映像は、まぁなんとか撮れたかなと。CGのシーンもあるけど、特に気をつけたのはとにかく(CGを)多用しないようにってことで。やり方によってはいっせいに動きが同じになる懸念もあるんで。

技術的なことは細かく言わないけど、例えばCGで10人×10で100人だとしたら、その個性は純粋に10しかないわけだから、動きとしては間違いなく100人のエキストラには敵わないと思うから。つまずいたりする奴もいるけどCGだと基本的につまずかないじゃん。場合によっては「10人しかいねぇじゃん」っていうようなことになってしまうんで、CGっていうのは使い方だよね。
遠くのほうに見える背景・景色としては使ってもいいけど、実際の動きではできるだけ使いたくないっていうのは、基本的にはある。

───城などはCG?

お城はね、基本的に門の前とかいうのは全部セットを組んだんだけど、背景に見える景色なんかはブルーバックで後から入れてる。かなりアップで撮る役者の横に映る情景などは極力実物を作ったね。スタッフも優秀で、セットでもリアルによく作ってくれたと思うよ。クリストファー・ノーランの『ダンケルク』はCGナシだったと思うけど、あれはあれでまたすごいよね。