『つんドル』を書けたのは笑わずに見守ってくれる人がいたから

――当時の出来事は、書き残していたんですか?

書き残してはいないんですけど、映画にも出てくるヒカリや景子のモデルになった友達には、LINEで伝えていました。映画にもあるように、好きだった男性に失恋したとき、この原作の大元になるようなショート小説を書いてふたりに送ったんですが、当時、出産したばかりだった景子のモデルになった子は、「私は今、赤子を抱えながら鼻水を垂らして泣いている」っていう連絡をくれました。

ヒカリ(のモデル)からは「亜希子には、絶対これからいいことがあるから大丈夫」って返事が来て……今、思い出したら泣きそうに(笑)。ササポンもそうですし、こういう経験をした私を笑わずにただ見守ってくれる家族や友人がいたことが、この作品を生む力になったのかもしれないです。

56歳の“赤の他人のおっさん”と同じ家で暮らした記録を私小説にした大木亜希子が本当に伝えたかったこと。「アラサー女子を救済するコンテンツを書きたかった」_2

干渉しすぎずに傷を癒し合える「赤の他人」

――期待も同情もせず、ただ受け入れてくれる存在が大切だったということですね。

臨床心理士の東畑開人先生が文庫版の解説を書いてくださったんですが、「元アイドルも赤の他人のおっさんも脆弱であった。そして、お互いが脆弱であることを知っていた」「まだ生傷を抱えていて、脆弱になっていた彼女たちに必要だったのは、誰にも侵入されないで、それでいて安全に誰かと一緒に居られることだった」とあって。

だからこそ、お互いの心の内側に干渉しすぎずに傷を治癒し合えることができたんだと思いました。『つんドル』を執筆していた時期の私は、脆弱だったんだと思います。

――でも、どん底にいるときって、自分は弱いとは思っていないですよね。

その通りです(笑)。人って本当に脆弱な時は、自分は大丈夫だという得体の知れない自信があるんだと思います。私自身、詰んでいた当時は毎日泣いて、尋常じゃないほど顔がむくみ、体重もアイドル時代から何十キロも増え、明らかに病んでいました。ところが、写真をビューティーアプリで加工し、SNSの世界では元気を装っていたんです。でも、家族や友人から見たら明らかに様子がおかしくて、メンタルクリニックに通うぐらい、追い詰められていました。

プライドを守るために弱さを認めたくなかったけど、誰かに助けてほしかったんですね。私の場合は、勤めていた会社をやめたら頼れるものがなくなり、精神的・経済的安定もなくなってしまって、「明日、私が死んでも気付く人がいるのかな?」という自虐的な状況の中で、ササポンが保護してくれるわけではないけれど、毎日、私を見守ってくれて、でも、恋人や家族のような距離感ではなく、あくまでも「赤の他人」として程よい距離感で接してくれる。それが当時の私にとって、生きるために必要なものだったんだと思います。