新任で高難易度の店舗の店長に抜擢
──入社早々、壮絶を経験されたなか、どうしてデニーズを辞めずに続けようと思ったのでしょうか?
「お店にあまり迷惑をかけてはいけない」と思い、2か月ほどで復帰しました。
久しぶりに仕事へ戻ったわけですが、一緒に働いていたアルバイトや主婦の方がものすごく気を遣ってくれが、「小松さんは無理しないでいいですよ」とものすごく気を遣ってくれました。
病み上がりの体に負担をかけないように、という一緒に働く仲間の心優しい「配慮」や「思いやり」にすごく感銘を受けました。こうした原体験があったからこそ、今でもデニーズで働くことができていると思っています。
──その後は、どのように昇進していかれたのでしょうか?
2年間キッチンを務めた後、副店長に昇格しました。
いくつかの店舗で副店長を経験しましたが、一番印象に残っているのは「デニーズ 南青山店」です。
この店舗はとにかく朝から晩まで忙しかったですね。早番の日、朝に出勤すると6時くらいからすでに行列ができていました。場所柄、ディスコやクラブ帰りのお客様で朝は賑わい、その後も昼から夜まで常にピーク状態でした。
南青山店には半年間しかいませんでしたが、これまで働いていた店舗よりも売上規模は大きかったので、「店長になる前の修行期間」という上司の計らいがあったのかもしれません。
そして3年目の29歳の時に店長へ昇進し、配属されたのが「デニーズ 東浅草店」でした。
この店舗は非常に面白い立地で、観光地の浅草・雷門や仲見世商店街とは離れた場所にあり、下町情緒の根強い地域の店舗でした。当時から社内でも難易度の高い店として知られていました。
結局この店舗に6年間も勤務していました。が、当時でも、同じ店舗に6年間もいるのは異例のことでした。