相手の人となりをインストールした見事な演技

この無理難題を引き受けるにあたって、トラボルタとケイジはお互いの演技を研究し、些細な癖に至るまで入念にコピーしたそうだ。
1人2役の斬新な設定を取り入れたことで、それぞれのシーンが対比され、キャラクターがより際立っているように見えた。

ちなみに落語家は、役者と違って完全に役を演じきるわけではない。先代である師匠や大師匠の“匂い”が透けて見えることを意識して高座に上がる。
自分が演じているようで、その自分はある意味、容れ物のような無我の側面もあるのだ。

本作ではトラボルタとケイジ、それぞれが自分を殺して相手のニン(人となり)をインストールしている点で、落語とよく似た奥行きを感じた。

特にケイジの演技は振れ幅が大きく、見どころのひとつだ。
彼が落語家になったらきっと、先代のネタを大切にする古典派になるのだろう。
反対に、朝起きて自分の顔が師匠の顔になっていたら果たしてどうなるのかを考えると、あまりにも過酷なミッションだった。

ちなみに上方落語には、猫が自分そっくりに化けて勝手なことをする『猫の忠信』という演目がある。
長唄の師匠を口説く猫を障子の穴から覗きながら「おれがあいつであいつがおれか」と呟く場面があるのだが、アーチャーに扮したキャスターが妻のイヴを口説くシーンなんかは、もはやこの噺が元ネタなんじゃないかと思うくらいシンクロしていた。

『フェイス/オフ』を見ていると、落語を原作にしたハリウッド映画もあり得るような気がしてくる。
派手なアクションは演じられないが、うどんをすするシーンならぜひ任せてほしい。


文/桂枝之進