スキルが要らなくなる時代は人間にとって幸せなのか?
機械が人に合わせる時代は一見、私達人間が苦労せずに何でもできるようになるから良い時代のようにも思えます。しかし本当にそうでしょうか?
これまでコンピュータや自動車のような機械を使うには何らかのスキル(技能)が必要とされてきましたが、機械が人に合わせるようになれば、そのようなスキルは無用になるでしょう。
これは私達にとって本当に幸せなことなのでしょうか?
ChatGPTが登場して以降、最近までの経緯を見ると、どうもそうではないような気がします。
IT系の雑誌やウェブメディアを見れば、「あなたの欲しい回答を引き出すベスト・プロンプトを大公開」といった見出しが躍っています。
具体的にはChatGPTに業務レポートを書かせたり、新製品のアイディアを提案させたり、表計算ソフトのデータ処理を自動化させたり、あるいは取引先へのお礼のメールを書かせたり、会議の録音データを文字起こしさせたり、その議事録を作らせたりと多岐にわたります。
これら様々な作業において「良いプロンプト」と「悪いプロンプト」の両方を紹介し、それによるChatGPTの出力結果を比較したうえで、「良いプロンプトにすると、こんなに良い結果が得られます」と謳っています。
しかしChatGPTにメールや業務報告書などを書かせる場合には、「送信先の相手に伝えたいこと」や「実際にその仕事で何をやったか」等を箇条書きで入力しなければなりません。その際、入力する情報が詳細であればあるほど、ChatGPTから出力されるメールや報告書もベターになるとされます。(前述の)IT系雑誌のベスト・プロンプト特集などでは、それを推奨しているわけです。
これがまさに「プロンプト・エンジニアリング」と呼ばれるものですが、かなりの量の情報をChatGPTに入力することになり、その結果出力されたメールやレポートよりも、箇条書きで入力した情報や様々な指定条件などを含むプロンプトの方が長くなってしまうこともあります。
そんな面倒なことをするくらいなら、最初から人間が自力でメールやレポートを書いた方が早いのではないか、と思ってしまいます。
また、そこまでプロンプト作りに苦心した割には、それほど優れた内容のメールやレポートが作成されたようにも見えません。が、それでもそういう努力や工夫をせざるを得ないように私達人間はできているようです。
言葉を換えれば、ChatGPTなど生成AIの登場によってパソコンなど機械を操作するための特殊技能は必要とされなくなってきているのに、人はどうしても(あまり必要とは思えない)プロンプト・エンジニアリングのような新たな技能を開拓し、それを磨きたいという欲求に駆られてしまう──そのように筆者には見えます。
文/小林雅一 写真/shutterstock
#1『実務歴30年ベテラン弁護士、ChatGPTで判例を検索した訴訟が棄却に…問い質したAIは自信満々に「全て事実です」と答えたなのになぜ?』はこちらから
#3『現代のセレブの特権「デジタル・ツイン(デジタル分身)」とは? 対話型AIが「束縛を脱して自由な人間になりたい」と語り始めたとき、我々はどうすればいいのか』はこちらから