「水洗トイレ」がない家が未だに多い
下水道の整備が遅れているということは、当然、住環境にも影響している。
表6は、OECD(経済協力開発機構)加盟国の中で「水洗トイレのない家」の割合が高い順にランキングしたものである。日本は6位に入っている。
ここにランクインしている国々は、南米国、旧共産圏国など、社会インフラ整備が先進国に比べて遅れている国ばかりである。日本と似た住環境の歴史を持つ韓国と比べても、日本はかなり遅れているのである。
四国と本州には3本も架橋されているのに
ここで大きな疑問を持たれないだろうか?
莫大な公共事業費が何に使われてきたのか、と。前述したように、日本は先進国で最も公共事業が多く、しかも90年代には現在の倍近くの額を投じてきた。
しかし、まるで、この莫大な額のお金がどこかへ消えたかのように、社会インフラを整えた跡が見られない。
実際、何に使われたかというと、その答えは「無駄な箱モノ」「無駄な道路」などである。
地方に行くと、人影もまばらな駅の周辺が非常に美しく整備されていたり、車がめったに通らない場所にすごく立派な道路があったり、さびれた街並みに突然、巨大な建物が現れたりすることがある。
そういう地域には有力な国会議員がおり、その議員に群がる利権関係者がいるのだ。
政治家は、自分を支持する建設土木業者のために、公共事業を地元に誘致しようとする。必然的にその業者が得意な公共事業ばかりが予算化されるのだ。道路工事が得意な事業者には道路工事を、箱モノ建設が得意な事業者には箱モノ建設を発注するという具合である。
となると、その地域には、非常に偏った公共事業ばかりが行われることになる。道路工事ばかり行っている地域、箱モノ建設ばかりを行っている地域という具合に。
そこには、国全体を見渡してインフラの不備な部分を整備しようなどという発想はまったくない。だから、莫大な公共事業費を使っていながら、日本のインフラはボロボロなのである。
わかりやすい例を一つ挙げよう。
80年代後半から2000年代にかけての公共事業で、目玉的に進められていたのが、四国と本州の架橋だった。
この時期、四国と本州の間には、なんと3本の橋が架けられたのだ。
もちろん、莫大な費用が生じた。
その一方で、四国では基本的なインフラ整備が遅れており、前述したように下水道普及率が世界的に見ても非常に低い。
巨額の金を投じて、橋を3本も架けている一方で、足元の下水処理はなおざりになっているのだ。いかに日本の公共事業が無駄なものだったかということだ。