50代になってから徐々に増えている単独行動で、生きる喜びを感じる自分
なんてことを考えつつ我が身を振り返ると、普段の僕は決して一人の時間が多い方ではない。
仕事はみずから選んでフリーランスの形をとっており、自宅の自室で一人机に向かう毎日だが、オンラインでもオフラインでも日常的につながっている人は多いし、第一、妻子(&犬2匹)と一緒に暮らしている。
最近は妻もリモートワークが増え、平日も休日も完全な一人になれる時間は、意外なほど少なかったりするのだ。
そんな中年男にとって、能動的単独行動は野生に還れる時間であり、もはやそれ自体がエンタメであると言ってもいいだろう。
例えば僕の趣味である、ライブハウスでのライブ鑑賞だ。
ごくたまに誘ったり誘われたりして人と一緒に行くこともあるが、9割方は単独で行く。
好きなバンドを間近で見るために客席前方のモッシュピットに突っ込み、サビを大声でシンガロングしたり、見知らぬ人と肩をぶつけ合ったりして大いに楽しむが、いい年してこんなに臆面もなく騒げるのは、一人で来ているからなのだ。
誰かと一緒だったらちょっと恥ずかしくて、もう少しおとなしく見ることになるだろう。
例えば旅行である。
家族一緒の旅行は不慮のトラブルが起こらないよう細心の注意を払い、予定通りに旅を進めて楽しみ、無事に家へ帰ることを最大の命題とする、言うなれば“予定調和”の旅だ。
だけど、最近の僕が趣味にしている、自力でカスタムした軽バンを使ったひとり気ままな車中泊旅では、『トラブル・アクシデントどんと来い』の心持ちで、むしろ想像もしていなかったことが起こることを期待し、敢えてやばそうな道へと進むこともある。
行き当たりばったりで何が起こるかわからないほうが、“生きた旅”というか、ライブ感があって楽しいのだ。
例えば映画である。
中3の我が娘はこの頃ようやく親離れをしてきだが、これまでの14年間の生活はとにかく子ども中心だった。
映画を観にいくにしても、やれアンパンマンだドラえもんだ、ディズニーだと、子供のセレクトに付き合うのがデフォルト。
こっちもまあ新鮮な気持ちで楽しんだりしてはいたのだが、最近は昔のように、ふらっと一人で映画館に行くことができるようになった。
そしてそれは、やっぱりめちゃくちゃ有意義な時間なのである。
個人の好みの差が大きいから妻と行く場合にもやはり妥協しなければならないが、ひとりだったらまったくの自由。
単館上映のマイナーな音楽映画だろうがB級ホラーだろうが、好きなものを選ぶことができて実に愉快なのである。
こうして50代になってから単独行動が増え、またそれを喜びと感じている自分だが、世は逆に「おじさんはなるべく人とつながる努力をしろ」と促し、中高年男性の孤独は悲惨だと決め込む風潮がある。
確かに、孤独死した中高齢者の8割は男性であるとか、都会住みの孤立男性ほど早死にしやすいというデータがあるらしいし、男性は家庭内であっても孤立するリスクがあるというが、果たして本当に孤=悪”という単純な図式なのだろうか?
好んで一人でいる男に、無理にでも誰かとつながれというのは、大きなお世話なんじゃないかと思う。
だってオスとは本来、孤独を好むものなのだから。
他人からなんやかや干渉されて長生きするより、一人で好きなことやって「ああ楽しかった」と適当に人生を締めくくりたいと考えている男も、結構多いのではないのかな。
こんなことを考えるようになったのも、僕自身がだいぶ歳をとってきた証拠なのだろうけど。
文/佐藤誠二朗