”生き様”を継承するバスク人の教え

日本では高校を全国大会に出場させることで、指導者は地域では「名士」のようになる。発言力は大きくなり、王様のように扱われることもあるという。しかしチームは有力な選手が入ったら、それだけで周りの選手も刺激を受け、強くなる側面はあるもので、指導者は常に謙虚でいるべきだ。

スペインの育成では結果云々よりも、実直に選手に向き合い続ける指導者が愛される。その選手から感謝されることで、ようやく評価を受ける。育成指導者の「理論」や「メソッド」が必要以上にもてはやされることはない。選手を殴り、蹴り、隠蔽し、恫喝するに等しい行為など、もってのほかだ。

秀岳館高校サッカー部だけではなく、育成指導者が結果を出したことで、周りが何も言えなくなるような環境ができてしまうのは危険なサインだ。

「Actitud(アクティトゥー)」

スペイン語で直訳すると、態度や姿勢だが、”生き様”とも訳せるか。スペイン、北にあるバスク地方ではActitudを育成の土台にしている。その中身は、勝負を最後まで諦めず勇敢に挑む、あるいは、仲間のために献身的にプレーする、そう言った行動規範を指す。日本でも珍しくない考え方だが、これがお題目ではなく、徹底されているのだ。

「そこでボールを取られたら、味方はどうなる?」

自分の責任を取れず、仲間と共に戦えない人間に対して、指導者は非常に厳しい態度で向き合う。少々、ボールテクニックがあったとしても、共闘精神の大切さを軽んじる者は許されない。

指導者の仕事はActitudを浸透させるため、まず健全な現場を作ることにある。それは、きわめて地道な作業だという。

「最後まで戦い抜け」

例えば、それを繰り返し言い続ける。世界最高のMFと言われたシャビ・アロンソは、Actitudの薫陶を受けて育った。

「一人だけの力なんてちっぽけだよ。チームのために身を粉にして働けるかどうか。チームが一致団結して戦うのが大事になるんだけど、そのためには自分が常にベストを尽くすことなんだ」

シャビ・アロンソは集団のために個人を磨くことができた。才能に恵まれ、自らが練習熱心だったことで高みに辿り着いたが、土台はActitudだった。彼はすでに現役を引退し、指導者に転身しているが、その教えを若い選手たちに伝える。Actitudは脈々と息づいている。それは、バスクの風土だ(試合会場などでの反応など、強い責任感やベストを尽くすことが求められる)。言うまでもなく、指導者も行動を律する必要を迫られる。

「育成に近道はありません。秘訣もないですし、自分たちを信じてやり続けるしかない。いつも太陽が出ているわけではないんです。曇りでも、雨でも、嵐でも、自分たちのスタンスを変えない。その覚悟が求められるのです」

バスクの名門、レアル・ソシエダのルキ・イリアルテ育成部長の言葉は真理だ。

結局、秀岳館の段原監督は辞職届を提出し、受理されている。あってはならない事件は、一人のリーダーの人間性の乏しさが集団を歪め、引き起こしたとも言える。ただ、日本では思った以上にリーダーシップが未成熟であり、育成現場もクローズで結果主義に陥りがちで、”あるはずがない”ことではないのである。

取材・文/小宮良之