スペインの小クラブに君臨する隻腕の名将
そもそも、日本のサッカーは独自の育成環境にある。昨今は、クラブチームでプレーする選手がプロに進むケースが増えた。しかし、依然として学校の部活動から、多くの選手がプロ入りしている。一方で、欧州や南米では、育成組織はクラブチームからのみである。学校の部活動という概念がない。つまり、同列に語るのには難しさがある。
欧州や南米では、封建的な関係性も希薄だろう。年齢の上下による、仰々しい礼儀など存在しない。一定のリスペクトは必要だが、基本的には人間として対等な関係と言える。コーチが選手を殴るなど、ただの傷害事件だ。
「対話・会話」
それが指導者と選手の基本にある。
それだけに指導者に必要となるのは、強烈なサッカーへの愛情だろう。エモーション、パッションの熱量で、選手とぶつかり合う。それによって、少しでもサッカーを改善させる。
スペイン、ガリシアにある小さな港町の小さなクラブで、筆者は左手のないサッカー監督、マヌエル・オリベイラ、通称マノリンという人物と出会ったことがある。
マノリンは現役時代、セミプロサッカー選手だった。30歳の時、海運業の潜水作業中にダイナマイトが誤爆し、左手が吹っ飛んでしまう事故に遭う。左半身は血まみれで、岸まで2キロだったが、右腕を必死に動かし、どうにか泳ぎ着いた。
「もう一度、サッカーの世界に戻る」
その一念だったという。その後、彼は選手ではなく、監督として50年近くも過ごすことになった。取材した当時、チームの成績も悪かったのか、競技場の外壁にはスプレーで殴り書きがしてあった。
「能なしマノリン、辞めちまえ!」
かなり痛烈だったが、「全身全霊でサッカーを愛してきたから、文句は言わせない」と言って笑うマノリンは自負心を感じさせた。情熱を傾けても、必ずしも裕福になれるわけではない。しかし、町中で会う人たちは多くが彼に笑顔で挨拶し、彼も笑って返した。その中にはかつての教え子だった選手もいた。
彼のように知られざる有能な指導者が無数にいることが、スペインの強さのルーツだろう。マノリンは異なるカテゴリのチームを指導してきたが、同国のサッカー界には育成だけに人生を捧げる指導者も少なくない。彼らはたとえ自身が有名にならず、華やかな世界に身を置かずとも、人間を育てることに誇りを持っている。
スペイン代表が世界王者になり、国内リーグは世界最高峰で、多くの世界的選手を輩出し続けるのは、その点で必然と言えるかもしれない。