「俺は今、"無免許”で小説を書いてるんじゃないか」
ニシダ 難しいですよね。僕らはもともと2019年の『M-1グランプリ』敗者復活戦で初めてテレビに出られて、そこで知ってもらえて仕事が増えていった経緯があります。だから、敗者復活戦で何か免許みたいなものをもらえたような感覚がなんとなくあるんです。それでいうと小説に関しては、たまに「俺は今、無免許でやってるんじゃないか」と思ってしまうときがあって。
今後もずっと書き続けたいし書きたいこともいっぱいある中で、やっぱりなんらかの形で評価されたら、それが“免許”になるんじゃないかって思っちゃうんです。
――それはたとえば文学賞を獲るとか?
ニシダ いちばんわかりやすいところだと、そうですね。罪悪感とまではいかないですけど、そういうふうにいつも思ってしまって。
又吉 そっか。同じように小説を書きたいと思って書いて、新人賞に応募しているけれどなかなか認めてもらえないって人たちからしたら、僕とかニシダくんを「芸人やから書けてるんやろ」って思う人もいるでしょうね。
ニシダ 又吉さんは自分とは全然違うと思うんですけど、でもそう思われてるんじゃないかっていう感覚は常にあります。
又吉 僕にしても多分いると思いますよ。そうか、そう思ってしまう人はしんどいでしょうね。
ニシダ 「うるせぇ」とも思うけど、でも「そうか」とも思ってしまうんですよね…。
又吉 たとえば同期の芸人が自分たちより先にテレビに出て評価されたときに、それを「うらやましい」と思う気持ちはどこかにありますよね。でもさっき言ったのと一緒で、そいつらが誰かに賄賂を渡したわけでもなく、生まれたときから持っている特別な関係性によるものでもない限り、嫉妬してもしゃあないというか。
条件は一緒やねんから、生まれてきて自分の表現をしたいなら覚悟を決めてやるしかないし、もっと多くの人に受け入れられたりまた次の本が出せるようにしたいと思うんだったら、それはやっぱり自分でなんとかするしかないんじゃないかなと僕は思うんです。
「嫌やな」と思ったら不満も言うし暴論みたいなことも言うけど、それをずっと言ってるとなかなか次のものを生み出せなくなるからずっとは言わないというか。「いや、あの人はあの人で何かしらの理由があって認められているわけやから、じゃあ自分には何ができるんやろ」って考えるようにしてますね。
ニシダ そうですよね。どうしてもたまに気になってしまって、よくないところです。
又吉 以前に編集者に話を聞きに行くテレビのロケがあったとき、誰かが「どういう人が作家に向いているんですか?」って質問したら、相手の人がすごい投げやりに「タレント、タレント」って言ったんですよ。そのときに「この人、俺らのこと嫌なんやろうな」って思って。そういう人と会ったりすると、ニシダくんみたいに気にしてしまうのはありますね。
でも僕はそのとき、「この人は本にかかわっているのにロマンがないから、面白い本を作るのは不可能やろうな」って思いました。この人が作る本、読みたくないなって。「タレントが書いたら読まれるから」って思ってる人がタレントと本作ったら嫌じゃないですか。そうじゃなくて、ニシダくんの人間性とか持ってるものを活かして本を書いたら面白いんじゃないかって考えた人と一緒に作りたくないですか?
ニシダ そうですね…。
又吉 外側のことは、たまに気になるけどあんまり気にしすぎずに、作る作品の中ですべてを表現するのがいちばん健全なのかなと思います。僕が言われすぎて感覚がおかしくなってるのかもしれないですけど(笑)。
取材・文/斎藤岬 写真/松木宏祐