僕の描く格闘技の場面では、更にエグいというかエッチなことを書いてるんですよ。それは関節技を使うシーンに多いんですが、関節技を使う時に、男同士なんですが、すごくセクシーな瞬間瞬間があるんですよね。
半分裸体ですよ。それで相手の身体に絡みついて上になったり下になったりして汗をお互いに擦りつけあったりね。これを意図してエッチなシーンとして表現するんですね。もう性行為そのものと間違えちゃうだろうってくらいネチネチと。それで二人は戦いながらも互いに相手に恋い焦がれてるわけなんです。「もうこいつと戦いたくて戦いたくてしようがない」と考える二人が戦い、お互いに高めあっていく。相手の肉体を貪りあう。そして戦いながら色んな場所にたどり着くんですよ。「お前がいたから俺はここまで来れたんだ」と、戦いながら言うんです。「すごくいいところまで来たなぁ。もうこんな風景は見れない。お前と一緒だから、この風景を見ることが出来るんだ」というようなことを今、僕は自然に書けるようになっちゃったんです。
それは谷口さんによる先ほどのシーン(※3)の、この一言の発展系だろうと今あらためて思ってますね。意識しないうちに、おそらくこの一言が今、僕がやっているそういう発想や演出のファーストインパクトを与えたような気がするんです。
次が『ナックル・ウォーズ』(1982年〜1983年)。こちらはひたすらリアルなボクシングの世界観という現実のエピソードが描かれているんですが、まぁ素晴らしいです。特に表現がすごくて。
これはね、格闘技モノの物語の中でもなんて悔しい漫画なんだろうと思ってるんです。というのは主人公であるメキシコ人ボクサーのチコが主人公と戦うほんの少し手前に、自転車に乗ってて突然交通事故で死んじゃうんです(※4)。
この展開にはもう絶対何らかの力が裏で働いたんじゃないかと思って。谷口さんに会った時に「あの物語が途中で終わったのはどうしてですか? 何かあったんですか?」と聞いたら「うーん、あったかなぁ〜」みたいなことはおっしゃいましたが、何があったかは聞けなかったんです。でもきっと何かあったんでしょうね。
原作の狩撫麻礼(かりぶ・まれい)さんもそうだったと思うんですけど、なんて酷く悲しいシーンなんだろうと思ってね。それで僕はこういうシーンを見た時にね、長編では絶対に悲しい場面は書くまいと思いましたよ。多分色んなご事情があったとは思うんですが、僕はとても悲しかったんです。
谷口さんと初めてお会いした時、今はなくなってしまったUWFというプロレス団体の試合を一緒に観に行き、その後、食事をして軽く一杯やったと思うんですが、その時に初めてお話をさせていただきました。もの静かな方でした。
谷口さんのすごいのは、『餓狼伝』を読んでいただけたら分かると思うんですが、『ナックル・ウォーズ』と『青の戦士』のボクサーの肉体とプロレスラーの肉体は全く違うんですね。谷口さんの絵は、作画としてやっぱりプロレスラーはプロレスの身体をしてるんですよ。
ボクサーって減量して減量して減量しまくってるじゃないですか。彼らはそういう肉体なんですが、プロレスラーって競技のために肉体を作るんじゃなくて、見せるために作った肉体なんですね。その見せるためのプロレスラーの肉体を谷口さんはちゃんと描き分けてる。それが谷口さんの優れたところであり、多くの漫画家がなかなか気づかないような技量だとも思うんですね。