映画の魅力を増大させた名解説

「どんな映画にも必ずひとつはいいところがある」「僕はこの映画は嫌いです」日本の映画ファンを育てた淀川長治。斜に構えず茶化しもしない、温かくも厳しい映画眼_2
淀川長治が宣伝マンとして携わり大ヒットした、ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン(中央)主演の『駅馬車』

戦前は映画雑誌「映画世界」の編集や映画会社UA(ユナイテッドアーティスツ)宣伝業務に勤しみ、その時期に来日したチャールズ・チャップリンと会談したり、ジョン・フォード監督の西部劇『駅馬車』(1939)の邦題を考え、大ヒットさせるなどの伝説を残している。

戦後は雑誌「映画の友」編集に携わり、映画評論の仕事も開始。また1948年には「東京映画友の会(発足当時は「『映画の友』友の会」)」を発足し、一般を集めて映画の魅力を説き続け、多くの映画ファンを育て上げていった(淀川さんは1993年まで同会を主宰。そして今も後進たちによって会は継続している)。

1960年にはNET(現テレビ朝日)のTV西部劇『ララミー牧場』の解説を担当したことが縁で、1966年10月1日から同局で始まった「土曜洋画劇場」の解説を請け負うことになり、これが1967年4月9日から日曜へ引っ越して「日曜洋画劇場」となる。

1970年代以降、日本全国の映画館が次々と閉館していく中、地方の映画ファンにとってテレビの映画劇場は映画に接する数少ない場であるとともに、各番組の解説者による独自の語り口そのものも映画の魅力を増大させてくれていたが、その代表が淀川さんであった。

あの時期、淀川長治という存在がいてくれなかったら、映画ファンの数はかなり減っていたのではないかとまで思えるときがある。それほどまでに彼の影響力は大きかったし、何を隠そう地方出身の自分自身がそうであった。

「どんな映画にも必ずひとつはいいところがある」「僕はこの映画は嫌いです」日本の映画ファンを育てた淀川長治。斜に構えず茶化しもしない、温かくも厳しい映画眼_3
「ロードショー」1989年3月号では、『第3の男』(1949)や『サンセット大通り』(1950)などのラスト・シーンについて解説。映画の多面的な見方を指南してくれる存在だった

「日曜洋画劇場」はもとより、TBSラジオの「淀川長治・ラジオ名画劇場」(1973~1981)は毎週欠かさず聴いていたし、「ロードショー」「スクリーン」といった映画雑誌の連載記事も食い入るように読みふけったものである(1970年代半ばには「週刊少年マガジン」でも新作映画の連載があったが、子供たちに媚びることなく大人向けの映画をガンガン紹介されていた)。