75歳になっても“とがって”いるジュリー

そんなジュリーだったが、2008年に自身の還暦を記念した初の二大ドーム(東京ドーム、京セラドーム大阪)コンサート「人間60年・ジュリー祭り」を開催。計5万4000人もの観客を集めて復活の狼煙をあげた。

さらに2010年には長年プロデューサーだった加瀬邦彦とともにザ・ワイルドワンズと組んで『ジュリー with ザ・ワイルドワンズ』を結成。アルバム発表、全国ツアーを敢行した。加えて2011年9月からのツアー「LIVE 2011~2012」では音楽活動から遠ざかっていた瞳みのるほか、岸部一徳、森本太郎、岸部四郎といったザ・タイガースのメンバーを集結させ、大きな話題に。

さらに確執が伝えられ、これまで不参加だった加橋かつみも2013年のツアーに参加、年末には初めて6人全員(四郎も含め)によるザ・タイガースの集結ライブが実現している。

また、ライブ活動だけでなく、2011年の東日本大震災をきっかけに毎年3月11日に「被災者への祈り」「反原発」をテーマにした新曲を発表し続けた。

「原発事故を目の当たりにして、この国の政策に疑問も募っていた。でも、彼は芸能人。政治的な発言には慎重にならざるをえない。そんな時、芸能人でありながら反原発を叫ぶ山本太郎さんを見て感銘を受けたそうです。“60過ぎて地位もクソもあるか”と開き直るようになりました」(音楽関係者 女性セブン2017年3月30日・4月6日合併号より)

そんな我が道をいく美学の中で、2018年の10月17日に起こしてしまった事件が、冒頭でも挙げた“コンサートドタキャン騒動”だ。

「毎年のように精力的にライブツアーを行ってきたジュリーですが、この日に予定されていた、さいたまスーパーアリーナ会場の観客数が、運営側から聞かされていた9000人から2000人も少ない7000人だったことで激怒、開演1時間ほど前に急遽中止を決定。

このトラブルはワイドショーなどで大きく取り上げられたこともあり、翌18日、ジュリーは自宅近くで取材に応じ“アリーナをやる実力がなかった”などと謝罪する事態となったのです」(週刊誌記者)

その後も災難は続いた。2020年の全国ツアーがコロナ禍のため中止となり、同じ理由でファンクラブ「澤會(さわかい)」の解散が発表されたのだ。そんなトラブル続きのためか、一部メディアは“ジュリー引退”“行方不明”などと報道、その動向が注目されていた。

しかし、それらは“ガセ”だった。2021年、ジュリーはソロ活動50周年記念としてマスク着用などを条件にライブツアー「沢田研二 2021 ソロ活動50周年LIVE『BALLADE』」を敢行、2022年には主演映画『土を喰らう十二ヵ月』で数々の賞を受賞することになる。

1983年の4月から9月までTBS系列で放送されていたテレビ番組『沢田研二ショー』では五月みどりとポルノを演じて賛否両論を巻き起こしたりと、とにかく“とがって”いたジュリー。(「週刊明星」1983年6月9日号〈集英社〉より)
1983年の4月から9月までTBS系列で放送されていたテレビ番組『沢田研二ショー』では五月みどりとポルノを演じて賛否両論を巻き起こしたりと、とにかく“とがって”いたジュリー。(「週刊明星」1983年6月9日号〈集英社〉より)
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そして2023年6月25日、いわくの地、さいたまスーパーアリーナで見事リベンジ復活を遂げたジュリー。

75歳、ジュリーはまだまだ意気揚々と“とがって”いる。


文/神林広恵