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学生ベンチャーとしてのスクウェア

スクウェアのファイナルファンタジーシリーズはどうやって生まれたのでしょうか。

もともとスクウェアは、「電友社スクウェア」という名前で、電気工事会社だった「電友社」のソフトウェア部門として1983年に設立されました。

元の電友社は徳島県の会社ですが、電友社スクウェアがオフィスを置いたのは神奈川県横浜市の日吉です。このオフィスには当時非常に高価だったパソコンが使える会員制のサロンが併設されており、近所にある慶應義塾大学をはじめとして横浜市周辺のパソコン&ゲーム好き大学生たちが集まるのに、絶好のロケーションでした。

これはつまり、エニックスがゲーム・ホビープログラムコンテストで若者を集めようとしていたのとちょうど同じ頃、同じ目的で、電友社スクウェアは、パソコンサロンに集った若者たちをヘッドハントしてアルバイトや社員として雇用していく方法をとっていたということになります。

1984年、このサロン会員たちを中心にゲームソフト開発チームが結成され、後のスクウェアにつながっていきます。

そのメンバーは坂口博信さん、田中弘道さんら後のFFシリーズの中核スタッフが、まだ横浜国立大学(余談ですが僕の出身校でもあります)に学生として籍を置きつつ、同時にディレクターや開発責任者を務めるような体制でした。

つまり、あくまでも商売人として様々なビジネスを試してきたなかでゲーム事業に到達したエニックスに対し、スクウェアは学生たちの主体性が強く発揮された、いわば学生ベンチャー的な雰囲気の組織だったといえます。

資金を出す親会社の思惑と、パソコン&ゲーム好きの若者たちの「俺たちもゲームを作りたい!」という初期衝動が組み合わさって、新進気鋭のソフトハウスを生み出したわけです。

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