「川端康成の小説はコスパが悪い」と語る女性経営者

以前、あるベンチャー企業の若手女性経営者が、テレビの情報番組で「川端康成の小説はコスパ(コストパフォーマンス)が悪い。ゆえに小説そのものもコスパがよくないと思う」と発言したという話を知人から聞いたことがあります。

その女性経営者はそれまで小説というものをほとんど読んでこなかったため、小説がどういうものかを一度試したかったそうです。

ノーベル文学賞を受賞した日本を代表する小説家の作品が、コスパが悪いの一言で、いとも簡単に切り捨てられてしまうとは、泉下の川端も、さぞかし驚いていることでしょう。

ここでいう「コスパ」とは、小説を読むための時間や労力という「コスト」に対する効果のことです。

もちろん川端作品自体に対する個人の好みというものもあるでしょうが、コスパ発言は、それ以前の問題です。コスパという尺度を持ち出して、文学や絵画、音楽といった芸術を語ることの滑稽さに、この女性は気づいていないからです。

感性の入る余地もない効率至上主義の価値観は、ここまでくると、驚きを通り越して笑ってしまいます。

ベンチャー女性経営者「川端康成の小説はコスパが悪い」と語る…コスパ・タイパを優先する”ファスト動画世代“に危惧されるむなしく貧相な人生_2

情報は有機的につながってはじめて知識になる

人生においてコスパやタイパばかりを気にするようになると、その尺度にそぐわない映画や小説は、持っている本来の意義が失われてしまうのでしょう。

情報は有機的につながってはじめて知識になり、知識は他の経験と組み合わさっていくことで、新たな発想が生まれます。情報の断片を知っているだけでは、何の役にも立たないのです。

仕事を効率的に進める上ではコスパを考えるのはもちろん大事ですが、それを重視しすぎると、さまざまな弊害が出てくると思います。仕事における人間関係も味気ないものになるでしょうし、仕事そのものからも人間味のある豊かな感性が失われ、AIに取って代わられる日もそう遠くはないことでしょう。

環境の変化が早く、競争社会が熾烈さを増すなか、コスパ意識はますます強くなっていくに違いありません。