相方との関係は「ガタガタに」
漫才、コント、ピン芸の賞レースが数多く開催されるようになった今、売れるための方程式は確立されたように見える。しかし、頂点にたどりつける確率は限りなく低い。
「僕は、本当に好きなことをやりたかったし、一度くらい、道を踏み外してもいいんじゃないかという思いもありました。自分の名前がドーンと出る大きいテレビ番組をやりたいし、M-1にも出たいし、有名になりたい。あとは、面白くなりたいと思っていました。
どこへ行っても、誰と会っても、目の前の人を笑わせる人間になりたい。そうなれば勝手に売れるんだろうと思っていました」
養成所でその実力を認められた笠川は、豚骨ホームランというコンビで、ワタナベエンターテイメント所属のプロ芸人となった。先輩にはネプチューン、アンガールズなどたくさんの売れっ子がいる。
「僕は野球部時代から『負けたくない』『一番になりたい』という思いが強かったですね」
その一方で、ずるずると芸人生活を続けるつもりはなかった。
「もし3年たってもテレビに出られなかったら、芸人をやめようと決めていました」
会社員として退路を断った笠川の生活は決して楽ではなかった。しかし、ここで野球部時代の人脈が生きた。
「野球部の先輩がやってる飲食店で働かせてもらいました。ものすごくかわいがってくれて、『好きなだけご飯を食べろ』『シフトも融通を利かせてあげるから』と言ってもらいました」
デビューしてすぐに『アメトーーク!』出演というチャンスをつかんだものの、コンビとして飛躍することはできなかった。
「あの番組に出たことで、野球ものならやれるという評価をされたと思います。野球の原稿を書いてほしいという依頼が来るし、存在も知ってもらえるようになりました。ただ、僕の名前が先に出たことに対して相方には思うことがあったんでしょうね、こちらにも変な気遣いがあったかもしれない。
少しずつ関係が微妙になっていって……最後にはガタガタに崩れてしまいました。相方から『解散したい』と言われたとき、僕はピン芸人になるつもりはなかったし、ほかの誰かと組んで漫才をやることは考えられなかった」
こうして『豚骨ホームラン』も笠川も芸能活動をやめた。実働はわずか2年に満たなかった。
「僕なんか、たいした実績もないし、誰も興味がないやろうと思っていたので、ツイッターで『ワタナベエンターテインメントをやめました』と書いたくらいですね。スパッとやめることができたのは、自分のキャリアがみなさんに認められるものだったからだと思います。
高校、大学で野球部のマネージャーをやって、百貨店でも働いた。芸人として一瞬でも『アメトーーク!』に出られたから、未練はほぼありませんでした。早めに気持ちを切り替えていくべきやなと思いました」