映画界が受け入れた敗退

1960年代から白人のハリウッドスターでは最も熱心に公民権運動に身を投じていたマーロン・ブランドは、『ゴッドファーザー』(1972年)で主演男優賞に選ばれた1973年のアカデミー賞授賞式でオスカー像の受け取りを拒否し、映画業界におけるネイティブ・アメリカン、及び黒人やアジア人の不当な扱いへの抗議としてネイティブ・アメリカンの女性活動家サーチン・リトルフェザーを壇上に送り込んだ。

マーロン・ブロンド
マーロン・ブロンド
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近年になってようやくアカデミー賞が本腰を入れて取り組むようになった問題を、このように50年以上前から社会的なリスクやキャリアのリスクを冒してまで強く主張してきたブランドも、同じく50年以上前の『ラストタンゴ・イン・パリ』の撮影現場での醜聞が2010年代後半にソーシャルメディアで拡散されて以降、その名前が挙がる度に「レイピスト」のレッテルが貼られるようになった。

監督のベルナルド・ベルトルッチだけでなく当事者二人とも撮影現場で実際の性行為はなかったと明言していること、役者の尊厳を踏み躙る強引な撮影をしたベルトルッチにブランドが激怒して、作品完成から20年以上にわたって二人が絶交状態にあったことなどには、もう誰も関心を払うことがない。

一度レッテルが貼られたら、死後であっても糾弾され続ける。ブランドに起こったことは、程度の差こそあれ映画史にその名を刻んできた白人男性であったら誰に起こっても不思議ではない。

アルフレッド・ヒッチコックは、当事者の双方が亡くなった後も、ハラスメントを受けたことを自伝で告発したティッピ・へドレンの孫であるダコタ・ジョンソンから糾弾され続けている。10代女性との婚姻関係を繰り返してきたチャールズ・チャップリンや、会社経営や制作現場において白人男性ばかりを重用し、複数の作品において人種差別的な描写を指摘されてきたウォルト・ディズニーも、このまま「レスト・イン・ピース」というわけにいかないかもしれない。

トッド・フィールドの『TAR/ター』に世界中の映画批評家から称賛が寄せられた理由の一つには、劇中でケイト・ブランシェット演じる指揮者リディア・ターが、浅知恵からヨハン・ゼバスティアン・バッハを「キャンセル」しようとする男子生徒を、芸術や歴史や社会学に関する知見を総動員して徹底的にやり込める姿への共感もあったのではないか。

しかし、その後にリディア・ター本人があっけなく「キャンセル」されてしまったことも、我々は粛々と受け止めなくてはいけないのだろう。自分がこよなく愛してきた一部の映画作家も、直接的な影響を受けてきた一部の映画批評家も、2010年代のある時期を境に皆どこかで、ブランドやヒッチコックのように(あるいはリディア・ターのように)名誉を失う前に、自ら「敗退」を受け入れていったかのようだった。