母と養子の息子を喰らう。遺体は引きずり出され......
乱入したヒグマは次々と住人を襲った。被害に遭ったのは、在宅していたAの内縁の妻であるB(34歳)と養子のC(6歳)。この2人がヒグマに襲われ、殺害される。さらにヒグマはBの遺体にかぶりつき、そのまま持ち去って行った。
家主のAはちょうど林道工事の仕事で外出しており、難を逃れた。とはいえ、帰宅後のAには凄惨な現実が待っていた。養子Cの遺体を発見したうえ、妻Bの姿がないことに愕然とする。だが、この時点で陽はすでに傾きかけており、Aはほとんど何もすることができなかった。
事件発生直後、奇しくも羽幌町の農家である松永米太郎がA家の前を馬に乗って通過していた。その際、小屋から山の方へ向かって点々と続く血痕を目にしている。当時はマタギがウサギなどの獲物を引きずって歩くことも珍しいことではなく、「村人が山で獲ったウサギでも引きずって帰って来たのだろう、その血の跡だろう」、松永はそう思ったという。ところが、現実は違った。その血痕は、ヒグマが引きずって行ったBの遺体によるものだった。
事件発生の翌10日、村の男衆が集まり、Bの捜索を始めた。先に松永が見た血痕を発見し、雪上に残っていたヒグマの足跡と血痕をたどった。午前9時頃、A家から東に150メートルほど離れた地点、A宅の裏山で巨大なヒグマを発見した。
銃を持っていた何人かが、銃口をヒグマに向け発砲した。ところが弾を発射した銃はわずか一丁だった。手入れの悪さなどが原因だった。わずか一発の銃弾はヒグマに当たらず、事態はむしろ悪化した。発砲によって男衆たちに気づいたヒグマが、彼ら目がけて突進して来たのである。
ところが、ヒグマは一転、山の方へ向かって立ち去って行った。怖気づいた男衆たちは、一目散に村へと戻った。
すでに午後3時を回り、辺りは薄暗くなり始めていた。とはいえ、この事態を放置するわけにはいかない。そこで再び男衆は現場へと向かった。先ほどヒグマを発見したトドマツの辺りをよく見ると、血痕で赤く染まっていた。小枝の間にBの遺体が横たわっていた。頭髪をはがされた頭蓋骨と膝下の足だけという、あまりにも無惨な姿だった。それ以外はすべて食い尽くされていた。
頭部と四肢下部を食い残すのはヒグマの習性とされている。ウシやウマ、シカを食べる場合も同様の食い方をするという。また、残された遺体にはササなどが被されていた。このような行為も、ヒグマの習性といわれている。
その後、一行は遺体を収容し、A家へと搬送した。