「黒い雨被爆者」と、その他の被爆者

そもそも、なぜ「疾病要件」が設けられたのか。

実はこの要件は、爆心地近くにいた直接被爆者、原爆投下後の街を歩いた入市被爆者、負傷者の手当をした救護被爆者、そしてそれらの胎内にいた胎内被爆者――には求められていない条件だ。黒い雨被爆者にだけ、より高いハードルが課せられたといっていいだろう。この措置こそ、被爆者援護行政における《差別》ではないか、と考えるゆえんだ。

この《差別》は、黒い雨に対する援護施策が始まった1976年から続いてきたものだ。

国は終戦直後の調査で「大雨雨域」とされた地域(長径約19キロ、短径約11キロ)のうち、直接被爆者として認定される被爆地域を除いた範囲を援護対象区域に指定した。正式には「健康診断特例区域」という名称で、1945年8月6日にこの内側にいたことが証明できれば、無料で健康診断を受けられるようになった。しかし、医療費の自己負担分が無料になり、各種手当が受けられる「被爆者」に認められるためには、「11障害」への罹患が必要だった。つまり、「疾病要件」である。

手帳取れずに死去した夫 救済阻む「黒い雨」差別_3
小山美砂『「黒い雨」訴訟』(2022年、集英社新書)より。「原爆被爆者援護事業概要」(広島県健康福祉局被爆者支援課、令和3年版)をもとに作成。図版作成/MOTHER

限定的な「特例」措置にとどめた理由として、1975年4月の衆議院社会労働委員会で政府委員が、「健康診断地域も爆風の影響は受けておるのでございますけれども、(中略)放射線の影響はほとんどないわけでございます」と答えている。

そして、新制度の「疾病要件」についても厚労省は、「黒い雨に遭っただけでは健康被害が生じる可能性が低いと考えており、『雨に遭った』だけでは認定することは難しい」と説明。原告全員が「11障害」を発症していたことを踏まえて、「疾病要件」を設けることに理解を求めた。

国が「黒い雨被爆者」と、その他の被爆者を区別して考えていることが、これらの説明に表れていないだろうか。

しかし、広島高裁判決はこれまでの国の対応を批判していた。健康診断特例区域について「本来、(中略)被爆者健康手帳を交付すべき者であったにもかかわらず、敢えて、その交付をしないで健康診断特例措置の対象者とした疑いが強い」と批判。そして、被爆者援護には、「一見健康と見える人に対しても幅広く適切な健康診断および指導を実施する」目的があるとも指摘していた。原爆放射線の影響が明らかになっていないことを前提とした判断だった。

問われているのは、次のポイントだ。

病気になったから、救済する。

いつ病に冒されるかわからないから、援護する。

広島高裁判決が立ったのは、後者の立場だ。晩発影響も指摘される放射線の特性を考えるならば、そうあるべきだと言えないだろうか。「疾病要件」は司法判断に背いている上に、核の実態に即していない。