AIの文章とうまく付き合いながら、
人間にしかできないことを楽しむ

――最近はChatGPTの精度向上が話題になり、今後はAIの書いた文章も増えそうです。AIの文章も「ちゃんと読む」べきなのでしょうか。

ChatGPTはそれらしい言葉を書けますが、内容の正確性に欠け、嘘を書くこともあります。よって、AIの書いた文章が合っているのかを確認しながら読む必要があると思います。また「ちゃんと読む」ことで言葉を扱う力がつけば、ChatGPTに具体的な指示を出すことや、AIが作った文章を修正することに役立つと思います。

個人的には、無駄な作業はAIに任せたらいいと思う反面、まったく無駄のない生活になることに怖さも感じるんですよね……。わかり切ったことをやっている間に、意外な発見があるかもしれないからです。

――無駄に見える作業にも意味がある、ということでしょうか。

そうです。私は歩くことを習慣にしているのですが、10キロ歩くのに2〜3時間かかります。この時間は無駄ではなく、道中ですれ違った人の会話を拾ったり、歩いている間にアイデアが生まれたりと、意外と収穫があります。

だから、例えば会社員の方が会議の議事録作成をAIに任せようとしたとき、あえて自分で書くことで意外な発想が出てくるかもしれません。全てを自動化すると、こうした「一皮むける体験」もなくなってしまいそうですね。

SNSでバズる文章を書くためには、あえてコスパの悪い「新聞や雑誌を破りながら読む」が必要! プレゼン能力向上にも最適な「ちゃんと読む」習慣とは_2

歴史的に見ると、人間に余裕があるときにさまざまな文学作品が生まれてきました。かつてギリシャで哲学がさかんだったのは、家事などを任せられる奴隷がいたからです。だからこれからは、AIにできるようなことは任せて、人間にしかできないことをやったらよいのではないでしょうか。

個人的には、命も肉体も持たないAIが書いた文章に、ものを考える上で何の値打ちがあるんだろうかと思います。たった一行の文章でも、10秒で書いたものと、何日もかけて書いたものの価値は違うはず。私はその「価値」を信じたいですね。