母親が宗教団体の婦人部長に

マイは、父が母に対してDVをする光景を覚えているが、母親は「それでも昔よりはマシ」と言っていた。暴力を受けても、離婚を考えないのは、両親ともが、離婚した親に育てられた経験があったからだ。

そのころ、母親は、婦人部長になるくらい立正佼成会にのめり込んだ。父親はそんな母親に対し、「宗教活動をしているから、家事がおろそかになるんだ」と言った。両親が揉めることが日常だった。

マイは中学では部活に入ったが、宗教活動から逃れるための口実だった。ただ、宗教と家族問題で葛藤を抱えていたことで、中2の二学期の頃、学校へ通えなくなった。さらに、酒を飲んだ際の父の暴れぶりがますます酷くなった。

「お金目的でも性的目的でもなく援助交際を…」父はDV、母は宗教にハマり、元彼も…苦悩する宗教2世が父親の暴力を今も「虐待」と呼ばない理由_2
写真はイメージです ©shutterstock

「そんな生活が耐えられないので、『死んでやる』と思ったんです。近所の公園で初めて手首をカッターで切りました。リストカットでは死ねないとは思いましたが、当時の思いとしては、死ぬつもりでやりました。爪をむしったり、タオルで首を絞めることもありました。結果、落ち着くんです。それらは自傷行為だったと思います」

そんなある日、父親がマイの胸ぐらを掴んで、「お前は社会のゴミだ」と怒鳴った。それを見かねた母親が珍しく止めに入った。

マイは、もうどこか遠くへ行ってしまいたいと思い、徒歩1、2時間はかかる駅までの道のりを歩いた。その後、帰宅すると父にパソコンを壊されていた。

「中2の頃からツイッターで繋がっていた人がいました。いろんなことを相談していた高校生だったんですが、救いになりました。その高校生も悩みがあり、うつ病の診断を受け、自傷もしていました。会ったことはないですが、恋愛をしていました。当時の唯一の相談相手でしたが、パソコンが壊されたので、一時、連絡が取れなくなりました」

その後、相談相手と連絡が取れないこともあり、マイのリストカットが激しくなる。

「リスカが酷くなったので、保健室に呼び出されました。養護教諭に『自傷しているの?』と聞かれましたが、私は『言いたくない』と、拒んでいました。結局、バレてしまったのですが、『親には言わないで』とだけ頼みました。帰宅すると、母がずっと泣いていました。母は『あなたの体は私の体と一緒よ』と言いました。気持ち悪いなと思って、『私の心配じゃなく、自分が辛いってこと?』って怒りました。もう、母は負担でしかない」