戦訓から学ばなかった日本軍
開戦3日後の12月11日、第四艦隊はウェーク島に上陸を試みたが、反撃に遭って駆逐艦二隻を失って敗退した。各地から捷報が届くなか、ウェーク島攻略は第四艦隊の面目の問題となった。12月22日、増強された第四艦隊は空母二隻、重巡洋艦四隻、潜水艦七隻をもってウェーク島を包囲、攻略必成を期した。そして哨戒艇二隻をあえて座礁させて上陸するという奇策を講じて、ようやく同島を占領することができた。
ウェーク島攻略戦では第一次と第二次を合わせ、日本軍は戦死者467人を出し、駆逐艦二隻、哨戒艇二隻、さらに衝突事故で潜水艦一隻を失った。一方、米軍の戦死者は122人と記録されている。この二次にわたるウェーク島攻略戦はさまざま貴重な戦訓を残したが、それを学ばなかったことが日本軍の命取りとなった。
最大の戦訓は、少数であっても敵航空機がいる飛行場のそばに上陸しようとするのは、自殺行為に等しいということだ。すぐに燃料や弾薬を補給してまた飛び上がってくる敵機には手を焼く。たとえ攻撃手段が銃撃だけの戦闘機であっても、それが艦艇に搭載している魚雷や爆雷に命中すれば、駆逐艦などは爆沈する。そして同じパターンの作戦を繰り返すと損害が大きくなることも大事な戦訓だったはずだが、これを日本軍がどれほど心に留めたかは甚だ疑問だ。
そしてなにより、米海兵隊は精強であると認識を新たにするよい機会だった。しかし、来援の望みもない絶海の孤島で、最後まで優勢な敵に火力戦闘を挑んだこの海兵隊の実態を知ろうという姿勢が日本軍にはまったく見られない。これは手強い連中だという認識があれば、ガダルカナル戦での対応の仕方もまた別な形になったはずだ。
文/藤井非三四 写真/shutterstock
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