賞品・賞金のないこの大会で得られるもの
一方で他のレースに出場したり練習したりしている時に、見知らぬ人から声をかけられ、「頑張ってください」と応援されることがあり、それも力になった。この1年間は、とても充実した時間を過ごせた。賞品・賞金もないこの大会を目指す経験そのものが、坪井にとってはそれ以上のものなのだ。
そして果たした二度目の出場。30名の選考会通過者リストに自分の名を見つけ、抽選がないと知ったその日は、定時で仕事を切り上げて、会社近くの居酒屋で妻と待ち合わせて祝杯を挙げた。
会社人生が曲がり角を迎えた“あの時”から15年。
「今度のレースで本当のゴールに辿り着ければ……自分の納得するところまでできたら、次のステージに向かって頑張れると思います。いろんな意味で節目の大事なレースです」
開会式には妻も姿を見せた。
「走り出すところを見たい、きれいな空気もちょっと吸いたいなと思っていたんです。花火も見れたし、月も見えた。いいことしかない。絶対に大丈夫よ」
本大会のスタート前日に突然、妻から「スタート地点に一緒に行く」と告げられた。
「『行きたい』と言葉をもらい、すごく力になりました。やるしかないです。ここまで来たら大浜海岸に行くため、どんなことがあっても諦めないで頑張りたいと思います」
槍ヶ岳手前でレース中止となった去年と比べ、ここまで2時間早いペース。ただ、剱岳を登り始めて間もなく、足先と腸脛靭帯が痙攣し始めていた。そこが不安要素だ。
そして、4日目。不安要素を抱えながらもレースに挑む坪井選手をアクシデントが襲った。
中央アルプスを走っていた坪井がヘルメットが大破するほどの滑落した。その後、駒ケ根でリタイヤしたのだ。
その一報はすぐ撮影本部に入った。20キロ圏内にいたのは杉目七瀬ディレクターのみ。食事のため、宿に戻ろうとした時、「現場急行。坪井を直撃せよ」の指示が下された。もっとも、坪井の詳しい居場所はわからず、探すことから始めないといけない。
GPSでは温泉施設にいると表示されたので向かった。たまたま居合わせた大会実行委員会メンバーに男性用湯船の中まで覗きにいってもらったが、いない。その後、スタッフが宿泊する宿で坪井の姿を見かけた、との情報が入り、駆けつける。
「自分が思っている以上に、相手が何かを言うのを待て」
ロケ開始前に会社の上司である日経映像の深堀鋭プロデューサーから杉目に、口を酸っぱくしてロケの作法が伝えられていた。まだ取材現場での経験が浅い杉目。うまくインタビューできるのか、責任重大で恐怖を感じながら、部屋を訪ねた。