「10年の夢が終わりました」
「泣いても笑っても、これで終わりにしようと思います。スタートして1日目でアウトでも、それで終わり。節目なんで10年間いい夢を見させていただいた。終わり、卒業です」
結婚してからもつい、TJARを優先させてしまった竹内。ここまで10年間、大きな度量で自分のわがままを受け入れてくれた典子に、いの一番に恩返しをするつもりだ。
その竹内、後ろには河田しかいないと知り「まずいな」と呟くと、慌ただしく出立の準備をする。
最後と決めたレースでどこまで粘れるか。“駆けっこ歴”数十年の男が、立ち上がる。
しかし、日本一過酷な山岳レースは62歳の竹内の前に容赦なく立ちはだかる。
それは大会3日目のことだった。
河田の上高地関門突破から遡ること、約2時間30分。午前5時24分に竹内が双六小屋でリタイアを宣言した。ひとまずは進むことを選ぼうとしたが、スタッフから「確実に関門を越えられないが、それでも進むのか」と問われた。
「失格……了解しました。終わった。どうも、すみませんでした」
スタッフに何度も頭を下げた竹内が、カメラに向かって清々しい表情で話し始めた。
「すっきりしたというか、これで……10年の夢が終わりました。ありがとうございました」
表情がたちまち、くしゃくしゃになる。言葉が続かない。大会スタッフらに振り絞るように礼の言葉を述べ、カメラの前から立ち去った。学生時代、初めて山小屋のアルバイトに携わったのが、ここ、双六小屋だった。
10年間に及ぶ長い挑戦の最後の時を思い出の地で迎えるのも、また何かの縁か。
竹内雅昭、62歳。最後の最後まで、何一つ、諦めなかった。
取材・文/齊藤 倫雄