残りの人生も応援され続けて終わりたくなかった

大沢樹生さんは昨年、北区を舞台にした映画「サムアップ」に主演。区長選出馬の大きな理由の1つは、その際にお世話になった北区の方々への恩返しだとしていた。

「映画のキャンペーンで北区の店舗さんや飲食店をまわったときも、コロナで大変な打撃をくらったという話を耳にしました。そんななか私も以前より国政に関心が出て、最近はロシアのウクライナ侵攻などもあってニュースにすごく注目するようになりました。

もちろんタレントという立場では、なかなか政治的な発言はし難い部分はあります。ただ、私は12歳で芸能の世界に入り、この4月で54歳になりますが、『これまでずっと応援されてきて、このあとの人生も応援され続けて終わることが果たしてどうなのか』と、ふと思ったんです。平均的な寿命で考えれば残りの人生は30年くらいですかね。その期間を地域貢献、社会貢献に当てたいなと思ったときに、目の前に存在していたのが北区であり、北区のみなさんだったわけです」(大沢樹生、以下「」同)

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昨年12月1日に出馬表明すると、同月に住民票を北区に移し、この約4カ月は芸能の仕事をセーブし、JR赤羽駅や王子駅前で街頭演説を行なうなど積極的に地元区民と交流してきた。2月の政策発表会見には報道各社が30社以上集まるなど注目を集めた。

3月29日には集英社オンラインのインタビューに応じ、こう話していた。

「なぜ区政なのか? 『知名度からすれば国政でしょ』などと声をかけていただくこともありましたが、始まりは“恩返し”の思いからですから。私は文京区の本郷で生まれ、育ちは江東区ですが、江東区も北区も下町情緒あふれる街で、個人的に肌に馴染んだ部分があります。もし神輿に乗せられて担がれているんだったら、どこかで心にノッキングや違和感があると思うんですが、それはいっさいありません。

元々映画が好きで、40代では4本の映画製作に携わり、うち2本は監督をやらせていただきました。映画監督は役者、撮影、照明、音声、ヘアメイク、衣装らあらゆる担当を統括し、スケジュールや予算を管理しながら進める仕事です。そういう意味では、規模は違っても組長という部分では区長と似ている部分がある気がします。

それに信じてもらえるかどうかはわからないですが、俳優は人を演じる以上、一般社会の人の感覚で生活していないと演技の引き出しも作れないので、普段はみなさんと同じように暮らしていて、多くの方々の気持ちは理解できているつもりです。アイドルというジャンルでは頂点も経験させてもらいましたが、その後は(ジャニーズ事務所を退所し)どん底も経験しました。順風満帆な人生ではなかったからこそ、弱者の方にも向き合えるのは自分の強みだと思っています」

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4月5日の出馬中止の会見1週間前、集英社オンラインの取材中にも、北区の地域住民ににこやかに挨拶をしていた