「栗城がマッキンリーに行こうとしてる、しかも一人で」

「彼の技術じゃ無理だ、って誰もが思いますよ」登山器具もまとも扱えなかった栗城史多がマッキンリーを目指した理由_3
マッキンリー

森下さんはこの前年(2003年)に大学を中退し、山岳ガイドを生業とするようになっていた。それでも大学にはよく顔を出し、後輩たちの面倒を見ていた。

「ボクが後輩たちとマッキンリーに行こうって準備してたんです。その中にGはいなかった。計画は99パーセント出来上がっていて、あとはお金を払うだけって段階になってから、Gが言いに来たんです。栗城がマッキンリーに行こうとしてる、しかも一人で、って」

森下さんは、山の仲間でよく集まる居酒屋に栗城さんを誘った。

「入山申請は英語で書かなきゃいけないけど、お前書けるか? 何よりお前の技術じゃ一人では無理だぞ、何なら一緒に行くか? って言ったんです。でもあいつ、ボクらの会議の日に顔を出すと言いながら、ドタキャンでした。まあボクらもその後メンバーの一人が都合悪くなっちゃって、結局行けなかったんですけどね」

栗城さんとGさんの仲違いの理由は、何だったのか?

「よくわからないです。何が原因ってわけでもなかったと思うんですけどねえ……」と森下さんは首をひねる。

栗城さんはGさんのことを「技術的にも体力的にもすごい人だった」と私に話していた。しかし先輩の森下さんから見れば「Gは歴代の部員の中でも不器用なヤツで、山は上手じゃなかった」という。

「ただ、あいつはすごく努力家なんですよ。登山からフリークライミングに転向して、今はトップクラスでジムまで構えています。一方の栗城は、Gとは対照的に何も努力をしない。そもそも水と油だったんじゃないですかね」

私はGさんに連絡を取りたかったが、森下さんは首を振った。

「前にもメディアの人から依頼があったんですけど、Gは栗城のことにはもう関わりたくないって……。絶対に会わないはずです」

私はGさんの取材を断念した。ところがこの2カ月後、森下さんから「Gと会う用事があるので、何か聞きたいことがあるならボクが代わって聞いてもいいですよ」とありがたい連絡が入った。