多国籍な入管での一日

日系ブラジル人のペドロ(仮名)は、日系人の父とブラジル人の母に連れられて小学3年生の時に来日した。

まだ幼かったこともあって日本語をすぐに覚えたものの、肌の色や文化の違いが原因でいじめられ、中学を卒業後に同じような仲間とともに20人くらいのギャングを結成し、非行に走った。

10代の時は数々の暴行事件を起こし、傷害や窃盗で逮捕され、少年院へ収容される。20代になってからも荒んだ生活をつづけ、強盗、コカインの密輸、窃盗などに手を染めながら約10年を過ごした。
その間、2人の日本人女性との間にそれぞれ1児をもうけるが、いずれもすぐに離婚。そして20代の後半に再び逮捕。日本で約2年の懲役刑を受けることになった。

入管での「密造酒づくり」に「ギャンブル大会」。ギャング、犯罪者から難民まで…多国籍な日本の入管を経験した日系ブラジル人ギャングの証言_1
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懲役刑を受けた外国籍の人間は、一般的には刑期を終えると同時に入管へ移される。そこで数か月から数年かけて在留を認めるかどうかの審査が行われるのだ。ペドロは言う。

「牛久にある入管の場合、1フロアに30~40人くらいがいるんだ。そのうち3人に1人くらいが刑務所を出てきた元受刑者。残りは不法滞在で捕まった人とか、成田や羽田で前科なんかがあって引っかかって送られてきた人とかいろいろだ。国際犯罪組織のナイジェリア人幹部もいれば、日本語も何もわからないクルドの難民なんかもいる。
入管では朝7時に起きて点呼や食事を終えた後は、基本的に何をするかは自由だ。刑務所のような作業がないので楽は楽だけど、本当にすることがないんで飼い殺しみたいな状態だ」

入管の中では3度の食事や運動の時間などはあるが、それ以外は自由に過ごすことができる。外部の支援者がいれば、その人が持ってきた差し入れを食べることもできれば、決められた時間内にテレビを見ることもできる。ただし、携帯電話や飲酒は禁止だ。

問題は、いつ審査の結論が出て入管から出られるのか、強制送還されるのか定かではないということだ。人々は自分の運命がどうなるかわからないまま、何もせず、不安な時間を過ごさなければならない。長い人になると、理由も聞かされず、5年以上閉じ込められることもある。