「決して『飛び抜けて上手い』というわけではなかった」
都城高校時代は、最速150キロを超える速球派として鳴らしたものの、甲子園出場経験はなし。全国的には無名の存在だった。
ドラフト当時、同級生で注目された選手は、今井達也(作新学院/埼玉西武ライオンズ1位指名)、寺島成輝(履正社/東京ヤクルトスワローズ1位指名)、藤平尚真(横浜/東北楽天ゴールデンイーグルス1位指名)といった甲子園で活躍した投手たち。
しかし、プロ入り後の活躍、残した実績は同期の甲子園スターをはるかにしのぐ。プロ入りから数年で球界最高峰の投手まで上り詰めた山本由伸。そのルーツを探るべく、彼の出身地、岡山県を訪れた。
JR岡山駅から車を走らせること10分ほど。岡山三大河川に数えられる旭川の分流・百聞川の河川敷に、山本少年が中学校時代に所属した東岡山ボーイズの専用グラウンドがある。駐車場に車を停め、グラウンドまで歩いていくと、一歩踏み出すごとに無数のバッタが飛び跳ねる。虫が苦手な人であれば、ちょっとたじろいてしまうほどの量だ。
グラウンドの奥には岡山丘陵の山々と、青々とした空が広がる。岡山駅の中心地からそこまで距離はないものの、豊かな自然を感じるには十分すぎる景色だ。
山本少年が所属していた当時のことを話してくれたのは、東岡山ボーイズの代表・ 藤岡末良さん、監督の中田規彦さん、副代表の豊田裕弘さん、コーチの片山勇人さん の4人。全員が、中学校1年生から卒団する3年生時まで、山本少年を指導した面々だ。
東岡山ボーイズはもともと、代表の藤岡さんが中心となって立ち上げたチーム。岡山県内では初のボーイズとして1988年に創設されている。
そんな歴史あるチームに山本少年が入団したのは、中学校入学とほぼ同時期。当時のことを、指導者たちはこう語る。
「背も低くて、線も細い子でした。器用なタイプではあったけど、決して『飛び抜けて上手い』というわけでもない。ウチには毎年1年生が入団してきますけど、どこにでもいるような普通の選手でした」